眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
朝の児童相談所。
会議室にはいつものように職員たちが集まり、壁際のホワイトボードには予定表が書き込まれている。
朝岡は、開始時刻ぴったりに手元の資料を閉じ、椅子から立ち上がった。
「それでは、定例会議を始めます」
ファイルの1ページ目を開いた朝岡の視線が、一瞬だけ紙袋に向かう。
数日前、警察署を通じて受け取った、花音が使っていたケース関連資料が入っている。
丁寧に封を閉じられたその茶封筒とノートは、朝岡の手によって、ロッカー奥の整理棚にしっかりと収納された。
鍵もかけた。
中の資料が再び彼女の手に戻るのは、花音自身が「また向き合える」と思えるようになったその日まででいい。
その思いを胸に、朝岡は口を開いた。
「まず、赤尾さんの件について報告します」
会議室が少し静かになる。
「先日、赤尾香澄さんは医療保護入院となりました。これに伴い、保護者による養育環境の継続が困難と判断され、児童福祉審議会を経て、赤尾悠真くんについては無期限での児童養護施設入所が決定しました」
複雑な表情で頷く職員たち。誰もが、このケースにおいて何が最善かを悩んできた。
「佐原さんの担当案件でしたが、今はしばらく業務を離れておられます。現時点で復帰の目処は立っていませんが、ご家族やパートナーなど周囲のサポート体制もありますので、皆さんはどうか過度な心配はせず、今の業務に集中してください」
朝岡が静かに、しかししっかりと話し終えると、部屋の空気がほんの少しだけ緩んだ。
「佐原さん、無理して戻ってこないでほしいよね」
と、あるベテラン職員がぽつりと漏らす。
「でも、きっとまた戻ってきてくれると思う。あの子、真面目だし」
「私、あの子の記録の書き方、すごく好きなんだよな。子どもにちゃんと寄り添ってるっていうか……」
花音の復帰を心待ちにするような声が、会議後の何気ない雑談として交わされていく。
けれど、無理に美談にはしない。
彼女が「戻ろう」と思えるタイミングは、彼女自身のもの。
職場は、それまでを受け止めるだけだ。
朝岡はそんな空気を感じ取りながら、ひとつ深く息をついてから口角を少しだけ上げた。
会議は滞りなく進み、各案件の引き継ぎや進捗の確認が始まる。
窓の外では、澄んだ秋の空気に包まれて、ゆっくりとした風が木の葉を揺らしていた。
紅葉にはまだ早いが、街路樹の梢には少しずつ黄みが差し始め、通りかかった小学生たちの制服の上には、薄手のカーディガンやジャンパーが重ねられている。
10月に入り、朝夕はぐっと冷え込むようになっていた。
職員の誰かが、給湯室から戻ってきて言う。
「ポット、新しくなってる! 沸くの早くなったよ」
「やっとか~! あれ10分くらいかかってたよね(笑)」
笑い声が、徐々に事務室に戻り始める。
少しずつ、児相にも「日常」が戻ってくる。
佐原花音という柱が抜けた空間には、まだ少しの寂しさも残っている。
でもそれを埋めようとするように、誰もが前に進もうとしていた。
会議室にはいつものように職員たちが集まり、壁際のホワイトボードには予定表が書き込まれている。
朝岡は、開始時刻ぴったりに手元の資料を閉じ、椅子から立ち上がった。
「それでは、定例会議を始めます」
ファイルの1ページ目を開いた朝岡の視線が、一瞬だけ紙袋に向かう。
数日前、警察署を通じて受け取った、花音が使っていたケース関連資料が入っている。
丁寧に封を閉じられたその茶封筒とノートは、朝岡の手によって、ロッカー奥の整理棚にしっかりと収納された。
鍵もかけた。
中の資料が再び彼女の手に戻るのは、花音自身が「また向き合える」と思えるようになったその日まででいい。
その思いを胸に、朝岡は口を開いた。
「まず、赤尾さんの件について報告します」
会議室が少し静かになる。
「先日、赤尾香澄さんは医療保護入院となりました。これに伴い、保護者による養育環境の継続が困難と判断され、児童福祉審議会を経て、赤尾悠真くんについては無期限での児童養護施設入所が決定しました」
複雑な表情で頷く職員たち。誰もが、このケースにおいて何が最善かを悩んできた。
「佐原さんの担当案件でしたが、今はしばらく業務を離れておられます。現時点で復帰の目処は立っていませんが、ご家族やパートナーなど周囲のサポート体制もありますので、皆さんはどうか過度な心配はせず、今の業務に集中してください」
朝岡が静かに、しかししっかりと話し終えると、部屋の空気がほんの少しだけ緩んだ。
「佐原さん、無理して戻ってこないでほしいよね」
と、あるベテラン職員がぽつりと漏らす。
「でも、きっとまた戻ってきてくれると思う。あの子、真面目だし」
「私、あの子の記録の書き方、すごく好きなんだよな。子どもにちゃんと寄り添ってるっていうか……」
花音の復帰を心待ちにするような声が、会議後の何気ない雑談として交わされていく。
けれど、無理に美談にはしない。
彼女が「戻ろう」と思えるタイミングは、彼女自身のもの。
職場は、それまでを受け止めるだけだ。
朝岡はそんな空気を感じ取りながら、ひとつ深く息をついてから口角を少しだけ上げた。
会議は滞りなく進み、各案件の引き継ぎや進捗の確認が始まる。
窓の外では、澄んだ秋の空気に包まれて、ゆっくりとした風が木の葉を揺らしていた。
紅葉にはまだ早いが、街路樹の梢には少しずつ黄みが差し始め、通りかかった小学生たちの制服の上には、薄手のカーディガンやジャンパーが重ねられている。
10月に入り、朝夕はぐっと冷え込むようになっていた。
職員の誰かが、給湯室から戻ってきて言う。
「ポット、新しくなってる! 沸くの早くなったよ」
「やっとか~! あれ10分くらいかかってたよね(笑)」
笑い声が、徐々に事務室に戻り始める。
少しずつ、児相にも「日常」が戻ってくる。
佐原花音という柱が抜けた空間には、まだ少しの寂しさも残っている。
でもそれを埋めようとするように、誰もが前に進もうとしていた。