眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。

匠のいない夜、変わらぬ温もり

その日の夜、匠が当直で不在の早瀬家には、変わらず温かな笑いが広がっていた。

食後のテレビを囲み、由香里さんの突っ込みに、父・博志さんの天然ボケが炸裂する。

「え?これ再放送じゃなかったのか、前にも観たような……」
「それ、CMですら観たことないドラマだけど?」と由香里さん。

そのやりとりに花音は思わず吹き出し、お腹を抱える。

膝の上ではミルクがのびをして、うっかりリモコンを落とした拍子に由香里さんに「こらっ」と小さく叱られ、部屋の隅にちょこんと移動して様子をうかがっていた。

「俺、こう見えても昔は結構バリバリだったんだぞ。証券会社の機関投資家でな、デリバティブも扱ってたんだ。今じゃ完全にお小遣い制だけどな!」

「世界経済と家計は別物ですから」と、由香里さんは笑いながら返す。

「お給料は年金に変わったの。今はその知性を生かして野菜作りして、食費を浮かせてください」

「それがねぇ、ジャガイモって意外と虫がつくんだよ……」と博志さんが真剣な顔で言うと、今度は由香里さんが噴き出して、「農薬は最小限でお願いします」と返す。

花音はそのやりとりを静かに見つめながら、ふと心の奥でつぶやいた。

――だから、こんないい場所に、広くて落ち着いた家があるんだ。

堅実で、派手ではないけれど、確かな暮らし。

早瀬家には、年月を重ねてきた家庭の厚みと、静かな経済的な安定があった。

それはお金の多寡ではなく、知性に裏打ちされた金銭感覚と、何より人との関係に丁寧であろうとする姿勢からくる“豊かさ”だった。

他人の家なのに、少しも気を遣わないわけじゃないのに、どこか安心できる。

居場所だと思わせてくれる力が、この家にはある――そんなことを、花音は思いながら、再び膝にのぼってきたミルクをなでた。

猫の喉の音と、テレビから流れるバラエティの笑い声。
匠がいない夜も、早瀬家の空気は優しく、包むように温かかった。
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