眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
翌朝――。

由香里のふんわりした卵焼きと、味噌汁の湯気が立ち上る朝食を終えると、博志は立ち上がりながら言った。

「よし、じゃあ俺は今日も草取り当番行ってくるかねぇ」

言いながら、玄関のフックからジャンパーを引っかけて袖を通す。すると、すかさず由香里が後ろからツッコむ。

「毎日“当番”じゃなくてよ。好きで行ってるんでしょうに」

「いやいや、“草と語らう男”としてはな、責任感が…」

そんな夫婦のやりとりを微笑ましく聞いていた花音が、ふと思い立ったように声を上げた。

「あの、私も草取り、行ってみたいです」

博志は目を丸くして振り返る。

「おおっ、助かるねぇ!そしたら母さんの長靴借りるか。ちょっとサイズは大きいかもだけど」

「いいですよ、汚れても気にしないので」

由香里は微笑んで、玄関先まで来ると、棚から長靴を取り出しながら言った。

「朝はまだ冷えるから、あったかくしていくのよ」

花音は頷き、ジャンパーを着て外に出る。
秋の澄んだ空気が、ほんのり鼻に抜けて気持ちがいい。
裏庭の畑に出ると、博志が軍手を渡しながら言った。

「さ、じゃあまずはここの畝(うね)んとこ頼む。匠にもちゃんと大事にされてるか?って、ついでに聞いとこうかな」

花音は、思わず手を止めて少し笑い、それからゆっくり答えた。

「もちろんです。前の現場で、私がすごく心配かけてしまって……匠さん、泣かせてしまったんです。病院まで付き添ってくれて、退院の日も、仕事の合間を縫って迎えに来てくれて……私、甘えすぎなくらいです。どうお返ししたらいいか、まだ答えが出なくて」

すると博志は、じっと土を見つめながら、ふっと笑った。

「返す必要なんてないよ。匠、前に言ってたんだ。“花音が笑ってるだけで、幸せな気持ちになる”ってな」

花音は一瞬で耳まで真っ赤になり、うつむいたまま草を勢いよく引き抜いた。

「……そんなこと、言ってたんですか……」

「言ってたよ〜。まあ、あいつ昔から、顔に出やすい子だったからねぇ。小学校の時なんか、“好きな子にプリント渡せない病”だったからな」

「えっ……それは、初耳です」

「可愛いの通り越して、ただの不器用。でもまぁ、そこがうちの息子だわな」

「ふふ……なんだか、ちょっと安心しました」

博志は笑いながら、少し離れた場所に腰を下ろし、野菜の苗をじっと見つめながらつぶやいた。

「草取りってのは、無心になれるからいいんだ。悩んでるときこそ、草を抜け。これ、俺の草哲学」

「草哲学……」

「そう。“心の雑草”も一緒に抜く。名言だろう?」

「……はい、ちょっとじわじわきます」

ふたりは畑のど真ん中で、どこかのんびりと、けれど確かな安心感に包まれていた。

そのとき、向こうから「にゃーん」とミルクが勝手口から脱走してくる。

「おいおい、また来たのかミルク。お前は草取りしなくていいんだぞ〜」

「ほら、ミルク。邪魔しないの!」

花音は笑いながら猫を抱き上げると、ふわふわの感触に顔をうずめた。

こうして、早瀬家の穏やかな朝はゆっくりと、そして温かく過ぎていった――。
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