眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
玄関先で、匠が靴のかかとをトントンと鳴らして履き終えたちょうどそのとき。

「ただいまー……あっ、あら?」

荷物を抱えた由香里と博志が、買い物袋を提げて戻ってきた。

由香里は、玄関に並ぶふたりを見て少し目を細めた。

「もう帰るの?」

「うん。昼は、花音とふたりで食べるから」

匠がそう答えると、由香里は「そう」と短く言いながらも、母親らしい鋭い勘で、二人の間に漂う特別に甘く、やわらかな空気を感じ取った。

花音の耳までほんのり赤い。

一方、空気を読まない父・博志は、米袋をどさりと床に置いて言った。

「えー!なんでー? 昼も一緒に食べたかったのに〜」

すかさず由香里が冷静に、けれど容赦なく応じる。

「お父さん、早くそのお米、米櫃に入れてきて。痛む前に」

「え、もう? ひと息つく暇もなく?」

「はいはい」

由香里に軽くあしらわれて、博志はしぶしぶ米袋を抱えて奥へと入っていく。

玄関には一瞬の静寂が戻る。

由香里はその場に立ち止まり、どこか気恥ずかしそうに視線を伏せる花音をちらりと一瞥すると、ふっと優しい声で言った。

「……可愛がってもらいなさい」

花音は、顔を真っ赤にしながら何も言えず、まるで湯気が立ち上るかのようにうつむいた。

由香里はその様子に微笑みを浮かべながら、何も追及せず、そのまま台所へと消えていった。

匠はそんな花音の様子を横目に見て、小さく笑った。

「……ほんと、わかりやすいね、花音」

「うるさいっ」

花音はぷいっと顔を背けたが、その口元はほんの少し緩んでいた。

匠はドアを開け、彼女を外へと促した。

二人の背中に、秋の入り口らしい、やわらかな風が心地よく吹き込んでいた。

日差しは穏やかで、どこか名残惜しげに夏を引きずっているようにも感じられる。
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