眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
「一度、外に出ましょう」
早瀬が静かに声をかけてきたのは、現場確認と朝岡への報告を終えた直後だった。

花音は無言でうなずき、まだ火照りの残る室内を後にした。
扉を開けて外へ出ると、むわっとした湿気と夜気が身体を包み込んだ。
それでも室内よりは幾分マシだ。
風が通るだけでも違う。

深く息を吸い込んだが、肺の奥まで空気が届かないような感覚に戸惑う。

スマートフォンを握りしめた手が汗ばんでいる。
再び、美咲の番号をタップする。
「……お願いだから、出て……」

呼び出し音が虚しく耳に響く。
足元がぐらりと揺れた。

花音は咄嗟に、マンション一階の石段へと腰を下ろした。
息が整わない。
額から汗が滝のように流れ、背中も湿っている。

電話の呼び出し音が続く中、視界の端で異変に気づいた。
駐車場の砂利の中央で、警察官の一人がしゃがみ込んでいる。

「……っ!」

立ち上がろうとした花音の腹部を、鋭い吐き気が襲った。
胃の奥がぎゅっと縮まり、何かがこみ上げてくるのを必死に押さえる。

電話を切るしかなかった。スマホを握る力さえ、今はしんどい。

目の前では、他の警察官がその隊員の肩を支えていた。
「……熱中症だ。パトカーで体冷やせ!」
肩を貸されながら、その警察官はゆっくりと歩き出す。
足取りは重く、全身がぐったりとしているのが遠目にもわかった。

花音は、石段に手をついて、震える呼吸を整えた。

限界なんだ。自分も、みんなも。
結咲ちゃんを保護した安堵に浸る間もなく、次のやるべきことが、背中を叩いて急かしてくる。

あの子が生きていたことに、心は確かに震えた。
でもまだ終わりじゃない。
母親は不在のままで、理由も分からない。安否すら不明。

正直今日は、もたないかもしれない。

それでも、自分が止まったら、次に困る誰かがいる。

歯を食いしばって、花音はスマートフォンを握り直した。
汗で滑る画面が、現実の重みを伝えてきた。

もう一度、美咲の番号を呼び出す──。
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