眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
夜が明けきらない早朝、午前五時。
まだ空には鈍い灰色が残り、眠りと覚醒の狭間のような街の気配の中、署内に静かな報せが入った。

巡回中の警察官が、駅近くのベンチに座り込んでいた川野美咲を発見したという。
別の生活安全課の署員がすぐに現地に向かい、任意での事情聴取を始めているとのことだった。

花音は、その報告をぼんやりと聞きながら、張りつめていた緊張の糸が一気に切れるのを感じた。
同時に、もう自分の役目はここで終わったのだと、ふわりと気が抜ける。

間もなく、児相からベテラン職員の金子が到着し、残りの業務を引き継いでくれることになった。
花音は、保護に関する書類と業務記録を手渡し、机の上を整えると、小さく頭を下げた。

「お疲れさま。無理しないでね」と金子に言われ、「はい」とだけ答えて署を後にする。

帰路は、タクシーを呼ぶことにした。

その準備をしていると、背後から早瀬が何度目かの声をかけてきた。

「本当に大丈夫ですか? 送りますよ、無理しないでください」

「……大丈夫ですよ。もうふらついてないですから」

笑ってみせたが、自分の足取りがほんのわずかに揺れているのは、誰より自分が知っていた。
けれど、もう少しだけひとりになりたかった。すぐに崩れてしまいそうな感情を、少しだけ整理したかった。

早瀬は一瞬、新田の方をちらりと見て、それから意を決したように花音の前に立った。

「もし、帰ってから具合が悪くなったら……絶対に、僕に連絡してください」

その声には、どこか本気の響きがあった。

花音は思わず目を伏せた。数秒だけ沈黙があって、ゆっくりと顔を上げる。

「……わかりました。約束します」

そうはにかんで言うと、タクシーに乗り込み、静かにドアを閉めた。

早瀬が最後まで見送っている気配を背に感じながら、花音は窓の外に目を向けた。

東の空は、少しずつ薄紅に染まり始めていた。
疲れ切った心と体に、わずかに朝の光が差し込んでいた。
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