諦めの悪い外交官パパは逃げ出しママへの愛が強すぎる
「Madame(マダム)、大変失礼ですが、私ではない他の方と勘違いなされているのではないでしょうか?」
 会場内には他に通訳者は沢山いる。皆が地味なスーツを着て招待客の影役者のように控えているので彼女が誰かと間違えてもなんらおかしくはない。
 咲良は女性をフォローした上で、丁寧に応対を心がけていたつもりだったのだが、女性はカチンと来たらしかった。顔から上気が出たのではないかというくらい真っ赤になって語気を荒らげた。
「まあ、しらばっくれて。まさかあなた、失くしたとは言わないわよね?」
 思わぬ方向にいってしまい、詰め寄る女性にどう対応したらいいものかと狼狽する咲良の傍で、とっさに家元夫人が助け船を出してくれた。
「私の通訳をしてくれているこちらの女性は、ずっと私の側におりましたわよ」
「あなたには聞いていないわ。私はこの子に尋ねているのよ」
 強硬な態度が変わることはない。ますますエスカレートしていく。
 フランス大使館主催のパーティーなのに、招待客をもてなすゲスト側がこのような態度をとるなんてありえるのだろうか。
 咲良は困惑しつつ家元夫人にも申し訳ない気持ちになる。異文化交流のための大事な場なのに、一触即発のような空気を出すのは間違っている。
 大人数が参加しているとはいえ、異様な雰囲気を感じとったらしい客から視線が集まってきてしまっている。このままではまずいだろう。
「藤田様、少しの間、離れてもよろしいでしょうか?」
「ええ。あなた、大丈夫?」
 家元夫人が心配そうに尋ねてきた。咲良は頷き返して、女性の方に向き直った。
「何か誤解があるようですが、ひとまずお話はわかりました。ここでは目立ちますから、あちらで詳細をお伺いできますでしょうか?」
「なぜ私があなたの命令を受けなくてはいけないの? あなたがさっさと本を返してくださればいい話よ。いい? 大事な本なの。失くしたでは済まないのよ」
 たとえ言葉が通じたとしても、話がまったく通じない。やんわりとやさしくやわらかに。日本人の極意たる三大や行を活用しても無駄のようだ。
 埒が明かない。家元夫人が咲良に耳打ちをする。
「……ねえ、ダメみたいね。私、どなたか呼んできましょう」
「ご夫人は余計なことをなさらなくて結構よ」
「……あらあら」
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