諦めの悪い外交官パパは逃げ出しママへの愛が強すぎる
 すっかり目の敵になってしまったようだ。そして、咲良への怒りの矛先を変えようとはしない。それなら、話題に乗るしかない、と咲良は思った。
「では、どんな本なのか教えていただけませんか? タイトル、装丁の色やデザインなど――」
「だから、なぜこちらが説明しなくてはいけないの。あなた、覚えているはずでしょう?」
 まるで見下すような嘲笑的な態度からすると、きっと若い通訳なのだと舐められているのかもしれない。彼女は事件解決を望んでいるというよりも咲良に難癖をつけたい気持ちの方が上のようだ。
 そのとき、咲良の上司の心配そうな表情が脳裏をちらついた。こういうときベテランの通訳者ならば、どう対応するのだろうか。場数が必要だということを思い知らされる。
 それにしても酷い態度だ。話も聞かずヒントさえ与えずとにかく出せと請求する。自分の思い違いかどうかさえ省みようとしない。
 女性のそういった攻撃的な勢いにつられたのかもしれないが、だんだん胃の中が重たくむかむかしてくる。そのせいか、押し問答が続く中、咲良の方もつい喧嘩腰になりつつあった。
 そして――。
「これだから日本は……」
 女性のその一言が引き金になった。
 ブツリ、と咲良の中の何かが切れた。
 ここは日本にあるが大使館とはフランスという国の中には違いない。けれど、今日はフランスと日本の二国間の交流を深め、両国が絆を結んで発展を目指すためのパーティー。互いが理解を深めていくための大事な場だ。平和であるべき。
 この女性はフランス代表としてその大事な場にゲストとして呼ばれて参加しているのではないのだろうか。それを差し引いたとしても他者に対してこんな暴挙は許されるものだろうか。
「先ほどから、そのように決めつけるような言い方は――」
 ああ、これ以上はいけない。
 周りがざわつくのを感じる。通訳の仕事をしなければいけないのに。他人を不快にさせず相互理解を深めるための交流をしなければ。正しく清らかな言葉を選ばなければ。だが、それらが喉の奥で渋滞している。
 この人のためにそれを使える気がしない。でも使わなければならない。通訳の仕事をちゃんとしなければ……大役を任されているのだ。
(落ち着きなさい。感情を先に出してはならない。ちゃんと必要な言葉を選びなさい、咲良……)
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