『夢列車の旅人』 ~過去へ、未来へ、時空を超えて~ 【新編集版】
(10)
「さっきから気になっていたのですけど……」
言い淀んで視線を外し、ふた呼吸ほどして視線を戻した。
「私のことばかりで、今仁さんのことがまったく出てきませんね」
言われてみればその通りだった。
この電車に乗ってからわたしの未来は一度も示されていなかった。
「う~ん、そうですね~、わたしにはたいしたことが起こっていないんでしょうね。それに、ロボコンはあなたにゾッコンみたいだから、あなたの未来にしか関心がないのかもしれませんね」
「そんなこと……」
彼女の頬が少し緩んだ時、「ピピッ」と短い音がした。
見ると、ディスプレーの画面が濃紺に染まり、ハイスピードで白文字が浮き上がってきた。
『2029年ニュース速報:インドがGDP世界第3位に!』
その瞬間、彼女がわたしの腕を強く掴んだ。
今まで緩んでいた頬がキュッと締まっていた。
その目には不安が漂っているように見えた。
勢力地図の大きな変化がもたらす影響を心配しているようだった。
GDPの1位と3位をアメリカと日本が占めていた時代は終わり、アメリカに肉薄する中国と躍進するインドの影響力が着実に大きくなっていた。
14億人の中国と16億人のインドが計30億人のパワーで世界に確固たる地位を築こうとしているのだ。
「日本はどうなってしまうのかしら……」
ドイツにも抜かれて5位に落ちた日本、
国連の安保常任理事国入りを果たせないままでいる日本、
核兵器禁止条約の批准を拒み続けている日本、
その姿はジャパン・アズ・ナンバーワンの時代の日本とはまるで違っていたし、変化する世界に対して新たな国家像を示せない情けない二流国に成り下がっているように思えた。
「4つの巨大戦艦に揺さぶられる小舟のような存在なんでしょうね」
中国、アメリカ、インド、ロシアという大蛇に睨まれる蛙と言い換えてもおかしくないちっぽけな存在になってしまっているようだ。
不安なまま画面を見つめていると、突然警告音が鳴って、ディスプレーが真っ赤に染まり、恐ろしい文字列が浮かび上がってきた。
『2033年緊急速報! 世界終末時計が再び50秒を切る!』
勢力地図が変わろうとする中、核保有国間の緊張の高まりが増しているのだろう。
それに加えて、核不拡散条約が形骸化し、核保有国の増大に歯止めがかけられなくなっているに違いない。
更に、変異を続ける未知のウイルスがパンデミックとなって多くの人間を死に至らしめているのだろう。
それだけでなく、人口爆発を続けるアフリカで農地確保のために行われている森林伐採が地球環境に深刻な影響を与えているのかもしれないし、南米でもアマゾン流域の森林消失が取り返しのつかないことになっているのだろう。
海洋資源の減少も深刻な状態に陥っているに違いない。人口爆発と豊かな食生活への欲望が限られた資源に大きなダメージを与えている可能性は大きいだろう。
核の脅威とパンデミックと環境破壊が人類とすべての生物を死の縁へ追いやろうとしている姿が脳裏に浮かんできた。
「世界はどうなってしまうのかしら……」
彼女の声が不安から恐怖へ変わったように感じた瞬間、「帰りましょう」という緊迫した声になり、左手がわたしの右手を強く掴んだ。
それは、これ以上先の未来へは行きたくないという拒否反応が全身に表れているように思えた。
「もう耐えられない」
地球終末時計が100秒に復活した時の面影は微塵も見ることができなかった。
「お願いです。帰らせて下さい」
彼女の爪がわたしの掌に食い込んだ。
その気持ちは痛いほどわかった。
しかし、一旦未来行きの電車に乗ったら終着駅まで行くしかなかった。
そこで過去行きの電車に乗り換えない限り、現実には戻れないのだ。
わたしはそのことを説明しようとしたが、それをさせまいとするかのように一気にスピードが上がり、「アテンションプリーズ」の音声と共に黒い文字列が現れた。
『音速モード突入』
体に大きなGがかかってきたが、それは前触れでしかなかった。
またもや「アテンションプリーズ」の音声が流れて、表示が変わった。
『光速モード突入』
わたしたちはシートに貼り付け状態になった。
それは、これから先は途中停車なしで一気に終点の『2080年駅』まで行くということを意味していた。
わたしは目を閉じて、彼女の手をしっかり握って、強力なGに耐え続けた。