この道の行く末には。
「……誠と、話したのか?」
「なにも。」
「…………。」
「一言も、話してないよ。」
冷静に観察しながらも、未だにどこか戸惑っていた。
床を見つめ、今度は淡々と述べる美衣の声は温度がなく冷たい。
「じゃあ、なんでここにいたんだよ。」
「ふはっ、」
「………………。」
「うん……ふふ。ごめん。」
「…………今、笑うとこあったか?」
「いやだって司、気にしすぎだし。可笑しい。」
淡々と他人行儀を貫く理由が分からず口調が強くなってしまう──も。吹き出した美衣は、情緒不安定なのかと真剣に疑うほどころころと表情や雰囲気が変わる。
「だからなんか、笑っちゃった」と、弾んだ声は、やっぱり昔となにも変わらないけれど。
心地好いような、苦しいような。
言い表せない感情が、体中を駆け巡る。
「けど………ごめんね、司。」
「……ごめんね?」
今更何を切り出せばいいのか分からず、視線を床に落とせば、小さな呟きが届いた。
申し訳なさそうな謝罪は、紛れもなく、目の前にいる美衣が発したものだけれど。それは、何に対して、誰に宛てているものだろう。
「『もう誠と司には関わらないから』とか、言ったくせにね。なんか……どうしても、会いたくなっちゃってさ。」
あの日聞いた、忘れもしない言葉を明るく発する。美衣の大きな瞳が、可笑しそうに細まる。
それでも、くだらない悪意など諸ともしない美衣はまた、楽しそうに笑うだけ。昔から変わらない、明るく愛らしい、あの笑顔で。
「誠も司も。明日卒業するでしょ?」
「まあ……3年だし」
「うん。そしたら、もう2人に会うこともないんだろうなーって思って……無性に懐かしくなってさ」
「…………そっか。」
昨日まで普通に会話していた関係のように、流れていく会話。
けれど。不自然なほど元気な美衣をそのまま、感じた通り思った通りに受け取ってしまっては、いけないのだろう。
「司と話するのも久しぶりだねー」
「そうだな」
「……司?どうしたの?」
別のことを考えながらの返事は、ほんの少し、上の空だったのかもしれない。そんな些細な変化なんて、普通は気付かないけれど。久しぶりに会話をしている相手のものなら、特に。
けれど、美衣は、違うらしい。
敏感に感じ取り、心配そうに顔を覗き込んできた。
変化する感情に鋭く気づいて、相手の立場になって考え行動する。
気を遣う。
心配する。
守ろうとする。
変わらないそれらを確認して、辛くなった。
どうして、今まで気づいてやれなかったのか──いや。
俺は本当に、気づいてなかったのか?
「……美衣、ってさ。昔から、1回決めた事は必ず最後まで貫き通してたよな。いつも。なんか、無駄に性格が男前で。」
「いきなりなに……って、どういう意味よ」
不思議そうに目を丸めつつ、言われた内容を自分なりに消化したらしい美衣は、思いきり顔をしかめた。うわ~……その顔。
「誉め言葉だよ。美衣、それはやばいって。」
芸人顔負けの歪め加減が可笑しくて、今日美衣と顔を合わせてから初めて、ちゃんと笑えていただろう。
「……だから今日、もう俺達に関わらないって決めてたのに誠に会いにきたのは、自分で決めた事を覆せるぐらい、会いたかったからだろ?美衣がそれをするってことは、よっぽど会いたかったってことじゃねえの?なら、謝ることじゃない。」
「……………。」
「なのに……なんで何も話さなかったんだよ。挨拶とか、自然なことなら少しくらい話してもいいだろ?」
何の反応もしない美衣をいいことに休む間もなく次々問い正せば「………………まこと、」と。弱々しく、幼馴染みの名を美衣が呟く。
「……美衣?」
「……あ、ごめん…………なんか、誠がね?私を見てもぽかーんって。してたの。知らない人みたいに。いや、間違ってないんだけどね?誠にとっては、そうだもん。」
感情なく、どこにも定めていないような視線を、顔を、体を、ピクリとも動かさず止まった相手。驚きはっとしたときにはもう、いつもの明るい雰囲気を取り戻していた。けれど。
隠しきれていない苦しそうな笑い方、言葉に、息は詰まった。
「……………」
「だからね。私が話しかけちゃったら、おかしいでしょ?そう思ったら、無理だった。」
「…………そっか。」
俺はずっと、間違った守りかたをしてきたのかもしれない。
それなら、確かめようか。
もう、いっそのこと。
全部、1から訊いていこうか。
直接、顔をみて。
何もかもを、はっきりさせてしまおうか。
もし俺が間違ったことをしていたのなら、手遅れになる前に。
この日常が、終ってしまう前に。
「……美衣は、なんで本当のこと話さないんだよ」
きっと本当は、もっと早く話さなければいけなかった。
ずっと、してこなかったけど。
今日、この瞬間まで。
真っ直ぐ合わされる、美衣からの視線。
2つの瞳。
歳下の女の子とは思えない闇が、そこにはあった。
「誠はあの事故で、美衣の記憶だけ綺麗に抜け落ちてる。それは、俺と美衣しか知らない。俺の家族も誠の家族もお前のこと知らなかったから、気付かないのは当然だろうけど」
「そうだね。誠と司とは、学年も違うし。急に一緒にいなくなったりしても、深く探ろうとする人もいなかったもんね。」
誠は覚えていない。けれど、確かに誠の中にあった記憶。
それはいきなり消え去った。
さっぱり、なくなっていた。