ふつつかな才女は、お望みどおり身を引きます~国より愛を選んだ婚約者と妹、そして残された人々の後悔~
――そういえば昔、昨日と同じように、庭の手入れを終えた後、背中に枯れ葉をつけたまま屋敷に戻ったことがあった。
その時、誰かが私の背中に触れた。振り向くと、そこにはサフィアお嬢様が立っていた。
私は驚いて動けなかった。びっくりしたのだ。同時に、日ごろの仕返しをされるのではなんて疑っていた。
サフィアお嬢様は私に付着した枯れ葉をそっと摘まむと、にこりと微笑んだ。
『この枯れ葉……庭の手入れをしていたのですね。おかげさまで、庭園に行く前に秋の訪れを感じられました』
枯れ葉を手にしても品のある姿、その柔らかな表情に、私はおもわず見入ってしまった。
当時は、いつもはまともに仕事をしていない私への遠回しな嫌味と思って腹を立てていたが、今になってわかる。
あれは本当に彼女の口からふと零れた、なにげない一言に過ぎなかったのだと。
サフィアお嬢様はメイジーお嬢様と違い、枯れ葉を“秋の訪れ”と捉えられる感性の持ち主だった。それだけだ。そこに私への嫌味なんてない。
……ああ。もうひとつ思い出した。
私、花が好きだったんだわ。グラントリー侯爵家で勤めたいと思ったのも、庭園が素敵だったから……。
そんな純粋な理由だったのに、いつしかすべてを庭師に丸投げして、ほかの仕事もしなくなって――出世という毒に侵され崩壊寸前。
「……罰が当たったんだわ。これまで、サフィアお嬢様を虐めた罰が」
私は楽しんでいた。
奥様やメイジーお嬢様と一緒にサフィアお嬢様を虐げることで、彼女より上に立てたような気分になれた。
「ちょっと! 今一瞬、櫛に髪が引っかかったわ! もっと丁寧にやりなさいよ! 私の髪はね、貴女の何倍も価値があるの。なんたって、殿下に撫でてもらえる髪なのよ」
どこからかメイジーお嬢様の怒鳴り声が聞こえてくる。
また新人の侍女をいびっているのだろう。
私が大きなため息をつくと同時に、訪問者を告げるノッカーが鳴り響いた。私は近くを通りかかった侍女に洗濯物を引き継いで、来客対応へと向かった。
「……レオナルド殿下」
扉の先に立っていたのは、レオナルド殿下だった。
「約束の一週間が過ぎた。メイジーを連れ帰ってもいいだろうか」
約束? なんのこと? いいや、そんなことより――。
「ええ、ええ! 一刻も早く連れ帰ってくださいませ!」
嬉しくて涙が出そうになった。ようやくこの地獄から解放される。
「? メイジーは、王宮を恋しがっていたのか?」
私の反応を不思議に思って、殿下が首を傾げる。
「いいえ? 王妃教育から解放されたと言って、のびのびとしておられました」
メイジーお嬢様が王宮へ戻ることが嬉しくって、私は建前も言えなくなっていた。
もうどうでもいい。私はもう、誰にも媚を売らない。
「のびのび……? マナーや歴史の勉強などは……」
「まったくされておりません。奥様とよく町に出かけて、毎日のようにファッションショーを楽しんでおられました」
「ファッションショー……?」
殿下の表情が険しくなっていく。きっと、王妃教育が思ったように進んでいないのだろう。
「い、いいやでも、それはサフィアがいなくなったことで、ようやくメイジーが実家で羽を伸ばせるようになったとも解釈できるな」
殿下は自分を納得させるようにそう言った。
「なぜ、メイジーお嬢様が羽を伸ばすことと、サフィアお嬢様がいなくなったことに関係があるのですか?」
「なぜかって? 君はここの侍女だから知っているだろう。メイジーはずっとサフィアに嫌がらせをされていたんだ。彼女は連れ子だからという理由で、肩身の狭い思いをさせられて……」
……ああ。メイジーお嬢様は周囲によくそういった嘘を言って回っていたわね。
殿下はメイジーお嬢様の口車にまんまと乗せられて、サフィアお嬢様ではなくメイジーお嬢様を選んだ。
たしかにメイジーお嬢様は地味で陰気なサフィア様よりはぱっと見華がある。顔も可愛いし、スタイルも細すぎずで男ウケはいいだろう。
――それでも、国の未来を考えるなら、絶対に選んではならない相手だったのでは?
私と同じくらい見る目がない殿下に、せめて、本当のことを教えてあげるべきだ。
「そのような事実はございません。むしろ、メイジーお嬢様はグラントリー侯爵家でいちばん両親から溺愛され、甘やかされておりました。肩身が狭かったのは、どちらかというとサフィアお嬢様のほうかと」
「な、なにを言っているんだ? 彼女は言っていた。サフィアがいつも屋敷で自分を虐めると。平民上がりだとバカにして見下してくると……」
「少なくとも、私が知りうる限りでそんな場面を見たことはございません。そもそも旦那様はサフィアお嬢様よりメイジーお嬢様を贔屓しておりましたので、メイジーお嬢様を虐めるなんてできる状況でなかったはずです。旦那様はサフィアお嬢様には厳しい躾を施されていましたが、メイジーお嬢様にはずいぶんと甘かったですよ」
「……う、嘘だ」
信じたくないと殿下の顔に書いてある。
「大体この二年は、サフィアお嬢様は王宮に住んでいたではありませんか。むしろその時から、わがままはさらにひどくなりました。八つ当たりする相手がいなくなったからでしょうか」
「! メイジーがサフィアに八つ当たりなど……するものか!」
変な間があった。
一瞬でも心が揺らいでいる時点で、殿下のメイジーお嬢様への信頼はその程度だということが私に伝わって来た。
「では、そろそろメイジーお嬢様を呼んでまいります」
「待て! ……君はなぜ、私の迎えにそんなに喜んでいたんだ?」
「……殿下ならご存知のはずです。メイジーお嬢様の乙女心はとても繊細で、殿下だけがその心を満たすことができるのです。本当に、心から殿下を尊敬しております。私のようなしがない侍女では、もう手に負えませんので……」
殿下の瞳が揺れた。その反応を見て、彼は私の言葉の裏側を理解しているように思えた。
――あの方の癇癪は手に負えない。殿下が責任を取って面倒を見てください、という意味を。
殿下は下唇をぎゅっと噛んだあと、今度は絞り出すような声で言う。
「……もうひとつ、聞きたい」
「なんでしょうか」
「サフィアの居場所を……知っているか?」
メイジーお嬢様がこの場にいたら絶対にしないであろう質問だ。その質問の真意は、私にはわからないが……。
「それは、こちらが聞きたいくらいです」
私がきっぱりと答えると、殿下は「……そうか」とか細い声で呟いた。
その時、誰かが私の背中に触れた。振り向くと、そこにはサフィアお嬢様が立っていた。
私は驚いて動けなかった。びっくりしたのだ。同時に、日ごろの仕返しをされるのではなんて疑っていた。
サフィアお嬢様は私に付着した枯れ葉をそっと摘まむと、にこりと微笑んだ。
『この枯れ葉……庭の手入れをしていたのですね。おかげさまで、庭園に行く前に秋の訪れを感じられました』
枯れ葉を手にしても品のある姿、その柔らかな表情に、私はおもわず見入ってしまった。
当時は、いつもはまともに仕事をしていない私への遠回しな嫌味と思って腹を立てていたが、今になってわかる。
あれは本当に彼女の口からふと零れた、なにげない一言に過ぎなかったのだと。
サフィアお嬢様はメイジーお嬢様と違い、枯れ葉を“秋の訪れ”と捉えられる感性の持ち主だった。それだけだ。そこに私への嫌味なんてない。
……ああ。もうひとつ思い出した。
私、花が好きだったんだわ。グラントリー侯爵家で勤めたいと思ったのも、庭園が素敵だったから……。
そんな純粋な理由だったのに、いつしかすべてを庭師に丸投げして、ほかの仕事もしなくなって――出世という毒に侵され崩壊寸前。
「……罰が当たったんだわ。これまで、サフィアお嬢様を虐めた罰が」
私は楽しんでいた。
奥様やメイジーお嬢様と一緒にサフィアお嬢様を虐げることで、彼女より上に立てたような気分になれた。
「ちょっと! 今一瞬、櫛に髪が引っかかったわ! もっと丁寧にやりなさいよ! 私の髪はね、貴女の何倍も価値があるの。なんたって、殿下に撫でてもらえる髪なのよ」
どこからかメイジーお嬢様の怒鳴り声が聞こえてくる。
また新人の侍女をいびっているのだろう。
私が大きなため息をつくと同時に、訪問者を告げるノッカーが鳴り響いた。私は近くを通りかかった侍女に洗濯物を引き継いで、来客対応へと向かった。
「……レオナルド殿下」
扉の先に立っていたのは、レオナルド殿下だった。
「約束の一週間が過ぎた。メイジーを連れ帰ってもいいだろうか」
約束? なんのこと? いいや、そんなことより――。
「ええ、ええ! 一刻も早く連れ帰ってくださいませ!」
嬉しくて涙が出そうになった。ようやくこの地獄から解放される。
「? メイジーは、王宮を恋しがっていたのか?」
私の反応を不思議に思って、殿下が首を傾げる。
「いいえ? 王妃教育から解放されたと言って、のびのびとしておられました」
メイジーお嬢様が王宮へ戻ることが嬉しくって、私は建前も言えなくなっていた。
もうどうでもいい。私はもう、誰にも媚を売らない。
「のびのび……? マナーや歴史の勉強などは……」
「まったくされておりません。奥様とよく町に出かけて、毎日のようにファッションショーを楽しんでおられました」
「ファッションショー……?」
殿下の表情が険しくなっていく。きっと、王妃教育が思ったように進んでいないのだろう。
「い、いいやでも、それはサフィアがいなくなったことで、ようやくメイジーが実家で羽を伸ばせるようになったとも解釈できるな」
殿下は自分を納得させるようにそう言った。
「なぜ、メイジーお嬢様が羽を伸ばすことと、サフィアお嬢様がいなくなったことに関係があるのですか?」
「なぜかって? 君はここの侍女だから知っているだろう。メイジーはずっとサフィアに嫌がらせをされていたんだ。彼女は連れ子だからという理由で、肩身の狭い思いをさせられて……」
……ああ。メイジーお嬢様は周囲によくそういった嘘を言って回っていたわね。
殿下はメイジーお嬢様の口車にまんまと乗せられて、サフィアお嬢様ではなくメイジーお嬢様を選んだ。
たしかにメイジーお嬢様は地味で陰気なサフィア様よりはぱっと見華がある。顔も可愛いし、スタイルも細すぎずで男ウケはいいだろう。
――それでも、国の未来を考えるなら、絶対に選んではならない相手だったのでは?
私と同じくらい見る目がない殿下に、せめて、本当のことを教えてあげるべきだ。
「そのような事実はございません。むしろ、メイジーお嬢様はグラントリー侯爵家でいちばん両親から溺愛され、甘やかされておりました。肩身が狭かったのは、どちらかというとサフィアお嬢様のほうかと」
「な、なにを言っているんだ? 彼女は言っていた。サフィアがいつも屋敷で自分を虐めると。平民上がりだとバカにして見下してくると……」
「少なくとも、私が知りうる限りでそんな場面を見たことはございません。そもそも旦那様はサフィアお嬢様よりメイジーお嬢様を贔屓しておりましたので、メイジーお嬢様を虐めるなんてできる状況でなかったはずです。旦那様はサフィアお嬢様には厳しい躾を施されていましたが、メイジーお嬢様にはずいぶんと甘かったですよ」
「……う、嘘だ」
信じたくないと殿下の顔に書いてある。
「大体この二年は、サフィアお嬢様は王宮に住んでいたではありませんか。むしろその時から、わがままはさらにひどくなりました。八つ当たりする相手がいなくなったからでしょうか」
「! メイジーがサフィアに八つ当たりなど……するものか!」
変な間があった。
一瞬でも心が揺らいでいる時点で、殿下のメイジーお嬢様への信頼はその程度だということが私に伝わって来た。
「では、そろそろメイジーお嬢様を呼んでまいります」
「待て! ……君はなぜ、私の迎えにそんなに喜んでいたんだ?」
「……殿下ならご存知のはずです。メイジーお嬢様の乙女心はとても繊細で、殿下だけがその心を満たすことができるのです。本当に、心から殿下を尊敬しております。私のようなしがない侍女では、もう手に負えませんので……」
殿下の瞳が揺れた。その反応を見て、彼は私の言葉の裏側を理解しているように思えた。
――あの方の癇癪は手に負えない。殿下が責任を取って面倒を見てください、という意味を。
殿下は下唇をぎゅっと噛んだあと、今度は絞り出すような声で言う。
「……もうひとつ、聞きたい」
「なんでしょうか」
「サフィアの居場所を……知っているか?」
メイジーお嬢様がこの場にいたら絶対にしないであろう質問だ。その質問の真意は、私にはわからないが……。
「それは、こちらが聞きたいくらいです」
私がきっぱりと答えると、殿下は「……そうか」とか細い声で呟いた。