ふつつかな才女は、お望みどおり身を引きます~国より愛を選んだ婚約者と妹、そして残された人々の後悔~
3.間違ってなどいない
私が迎えに行くと、メイジーはおとなしく王宮へ戻って来た。
私の顔を見た時のメイジーの表情には、嬉しさ半分、実家での生活への未練の半分が伺えた。
メイジーが私と馬車に乗り込む際、寂しがっているのはグラントリー侯爵夫人のみだった。侍女長含めほかの侍女たちは、彼女がいなくなることに安心したかのような表情を浮かべていた。
……侍女長が言っていたあの言葉が、今でも胸に引っかかっている。
『メイジーお嬢様はグラントリー侯爵家でいちばん両親から溺愛され、甘やかされておりました。肩身が狭かったのは、どちらかというとサフィアお嬢様のほうかと』
あの発言は、いったいなんなのだ?
サフィアを庇い、あんな嘘をついたのか?
……だが、メイジーが特別甘やかされていたとしたら、王妃教育がまるでできないのも頷ける。まさかグラントリー侯爵がメイジーを優秀と言っていたのも、ただの親馬鹿発言だったとしたら?
考えるだけでぞっとする。しかし、幸いまだ外交は始まっていない。メイジーの仕事の力量を噂話で計るのは愚かな行為だ。
「……レオ様。さっきからずっと浮かない顔してる。一週間ぶりに私に会えたのに、喜んでくれないのね」
目の前で恨めしそうに私を見つめるメイジーに気づき、ようやく意識が現実に戻った。
王宮に戻った私は、メイジーを自室に呼び、ふたりきりでお茶を飲みながら他愛もない話をするつもりだった。
しかし考え事に没頭してしまい、まだお茶に一度も口をつけていなかった。その間に、メイジーは既に一杯目を飲み終えている。
「そんなことはない。久しぶりにこういう時間を過ごせて嬉しいよ」
ようやくお茶をひとくち飲む。既にぬるくなって、美味しいとは言えない。
「なにを考えていたの?」
こういう時のメイジーは無駄に鋭い。私は慎重に言葉を選びながら誤魔化す。
「いや、君はずいぶんと実家を楽しんでいたようだから。……気分転換できてよかったよ」
ここでメイジーを追及するのは悪手だ。
侍女長の名前を出したりしようものなら『私以外の女の言うことを信じるのね!』と、またヒステリックを起こすのが目に見えている。
私はメイジーに癒しを求めていたのに、なぜここまで気を遣わなくてはならないのか。
そしていつからだろう。彼女の発言を、無条件に信じられなくなったのは。
……この際、グラントリー侯爵家でメイジーがどのように扱われていたかは重要ではない。
たとえ彼女の発言が嘘だったとしても、私の気を引きたかったという事実だけでじゅうぶんだ。
私としては、婚約者として、未来の王太子妃としての役割さえ果たしてくれれば、それ以上はメイジーに求めない。
「メイジー。明日からまたイザベラが来てくれる。王妃教育は頑張れそうか?」
というか、頑張ってもらわなければ困る。
メイジーは憂鬱そうな顔をして口を尖らせた。
「……ねぇレオ様。王妃教育って、必ず受けないとダメ?」
この期に及んで、よくもそんなことを。私は苛立って、少し声に力が入る。
「なにを言っているんだ! 当たり前だろう。王妃教育を受けない王太子妃がどこにいる。私の婚約者になるのはどういうことか、君はよくわかっていたはずだ」
長年ずっとサフィアを近くで見てきたメイジーなら、王太子妃が表で見える華やかな部分だけでないことは承知済みだろう。
「そ、そんなに怒らなくたっていいじゃない。冗談よ」
「……笑えない冗談はやめてくれ。メイジー。私だって好きで君にこんなことをしつこく言っているわけじゃない。私たちはようやく、表立って交際できるようになったんだ。私はサフィアではなく君を選んだ。君はサフィアより可愛くて優秀で女性として魅力的で、それでいてサフィアより私を心から慕ってくれている。そうだろう?」
まるで小さな子供に言い聞かせるように、私は優しい声でそう言い、メイジーの頬をそっと撫でた。
「……ええ。そうよ。私がいちばんレオ様を愛しているの」
メイジーは瞳を潤ませて、私の手のひらに自らの小さな手のひらを重ねた。
「それなら、私たちふたりのために頑張れるはずだ。サフィアにできたんだ。君にだって必ずできる。一刻も早く、結婚パーティーをしたいと言っていたじゃないか。その夢を叶えよう」
「……そうよね。わかった」
聞き分けのいいメイジーは、昔みたいに可愛らしかった。
まだ自分にも、彼女を愛しいと思う感情が残っていてよかったと安堵する。
この一週間、私もいろんなことを考えさせられた。メイジーのいない王宮は静かで……平和だった。
だが、華やかさや日々を彩る刺激が足りなかったのは事実だ。
こうして腕の中に閉じ込めると、やはりメイジーでしか得られない温もりがあると実感する。
無事に仲直りできた。これできっと大丈夫。
――そんな私の期待は、翌日に裏切られることとなる。
メイジーがまた体調不良を理由に、王妃教育を休んだのだ。それも一日だけではない。次の日も、その次の日も……。
「もう我慢なりません。わたくしは本日限りで、メイジー様の王妃教育係を辞任させていただきます」
十日間、イザベラは待ってくれた。だが十日間経っても顔すら見せないメイジーにイザベラはしびれを切らし、教育係を自ら辞めていった。
メイジーは王妃教育の時間になるとストレスで腹痛が襲ってくると言い、部屋に引きこもる。そしてイザベラが帰ったとわかると、元気になって部屋から出てくる。
彼女が王妃教育を意図的にサボッているのはわかっていた。だがそこを責め立てると癇癪を起こし、怒りの矛先は私に向かってくる。
私とて忙しい。メイジーの相手をするのが面倒になり、彼女を避けた。つい十日前に再確認した愛は、もはや燃えカス程度にしか残っていない。
「イザベラ、ついに辞めたの? やったわ!」
彼女が辞任したと告げると、メイジーは大喜びした。
「レオ様、私がなんの意味もなく、王妃教育を休んでいると思ったでしょう?」
「……理由があったのか?」
「イザベラを辞めさせるためよ。あの女、絶対に私にだけ厳しくしていたわ。でもプライドが高そうだし、こちらから解雇したら面倒そうじゃない? だから、辞めてもらうよう仕向けたの!」
またふざけたことを言い始めた。
十日間も王妃教育を怠り、教育係に見放されたという噂が立つ方が損に決まっている。メイジーはなにもわかっていない。こちらから解雇したとなれば、いくらでも言い分はあったというのに。
「はー。せいせいした。毎日意味もなく足を運ばされて、どんな気分だったのかしら。少しは仕返しできたわね。」
……結局、イザベラに仕返しをするのが本来の目的だったか。
メイジーなら『あの女を解雇して!』と私に泣きつくくらい容易かっただろうに。くだらない仕返しのために、よくもこんな無駄な時間をかけたものだ。
「レオ様、次はもっと親切な教育係にしてもらえる? あの女でなければ頑張れるわ。それに、もっとスムーズに進むと思うの!」
メイジーがなんの悪気もなしに言っているのは、彼女の無邪気な笑顔を見ていたらわかる。だけど私は、悪気がなしにそのようなことを言えるほうが恐ろしかった。
実家から戻ってきたあの日、最初から教育係を変えてほしいと言っていれば、この十日間は無駄にならなかった。
イザベラの怒りも買っただろうが、どうにか宥められただろう。
散々迷惑をかけておいて、優しい教育係を、なんて……。
――ふざけるな!
喉元までこみ上げた言葉を、ギリギリのところで飲み込んだ。
私までヒステリックを起こしてどうする。ここは年上の私が冷静になり、物事を迅速かつ円滑に進めることだけを考えるんだ。
「わかった。べつの教育係を用意してもらおう」
王妃教育が進むなら、もうなんでもいい。
私の顔を見た時のメイジーの表情には、嬉しさ半分、実家での生活への未練の半分が伺えた。
メイジーが私と馬車に乗り込む際、寂しがっているのはグラントリー侯爵夫人のみだった。侍女長含めほかの侍女たちは、彼女がいなくなることに安心したかのような表情を浮かべていた。
……侍女長が言っていたあの言葉が、今でも胸に引っかかっている。
『メイジーお嬢様はグラントリー侯爵家でいちばん両親から溺愛され、甘やかされておりました。肩身が狭かったのは、どちらかというとサフィアお嬢様のほうかと』
あの発言は、いったいなんなのだ?
サフィアを庇い、あんな嘘をついたのか?
……だが、メイジーが特別甘やかされていたとしたら、王妃教育がまるでできないのも頷ける。まさかグラントリー侯爵がメイジーを優秀と言っていたのも、ただの親馬鹿発言だったとしたら?
考えるだけでぞっとする。しかし、幸いまだ外交は始まっていない。メイジーの仕事の力量を噂話で計るのは愚かな行為だ。
「……レオ様。さっきからずっと浮かない顔してる。一週間ぶりに私に会えたのに、喜んでくれないのね」
目の前で恨めしそうに私を見つめるメイジーに気づき、ようやく意識が現実に戻った。
王宮に戻った私は、メイジーを自室に呼び、ふたりきりでお茶を飲みながら他愛もない話をするつもりだった。
しかし考え事に没頭してしまい、まだお茶に一度も口をつけていなかった。その間に、メイジーは既に一杯目を飲み終えている。
「そんなことはない。久しぶりにこういう時間を過ごせて嬉しいよ」
ようやくお茶をひとくち飲む。既にぬるくなって、美味しいとは言えない。
「なにを考えていたの?」
こういう時のメイジーは無駄に鋭い。私は慎重に言葉を選びながら誤魔化す。
「いや、君はずいぶんと実家を楽しんでいたようだから。……気分転換できてよかったよ」
ここでメイジーを追及するのは悪手だ。
侍女長の名前を出したりしようものなら『私以外の女の言うことを信じるのね!』と、またヒステリックを起こすのが目に見えている。
私はメイジーに癒しを求めていたのに、なぜここまで気を遣わなくてはならないのか。
そしていつからだろう。彼女の発言を、無条件に信じられなくなったのは。
……この際、グラントリー侯爵家でメイジーがどのように扱われていたかは重要ではない。
たとえ彼女の発言が嘘だったとしても、私の気を引きたかったという事実だけでじゅうぶんだ。
私としては、婚約者として、未来の王太子妃としての役割さえ果たしてくれれば、それ以上はメイジーに求めない。
「メイジー。明日からまたイザベラが来てくれる。王妃教育は頑張れそうか?」
というか、頑張ってもらわなければ困る。
メイジーは憂鬱そうな顔をして口を尖らせた。
「……ねぇレオ様。王妃教育って、必ず受けないとダメ?」
この期に及んで、よくもそんなことを。私は苛立って、少し声に力が入る。
「なにを言っているんだ! 当たり前だろう。王妃教育を受けない王太子妃がどこにいる。私の婚約者になるのはどういうことか、君はよくわかっていたはずだ」
長年ずっとサフィアを近くで見てきたメイジーなら、王太子妃が表で見える華やかな部分だけでないことは承知済みだろう。
「そ、そんなに怒らなくたっていいじゃない。冗談よ」
「……笑えない冗談はやめてくれ。メイジー。私だって好きで君にこんなことをしつこく言っているわけじゃない。私たちはようやく、表立って交際できるようになったんだ。私はサフィアではなく君を選んだ。君はサフィアより可愛くて優秀で女性として魅力的で、それでいてサフィアより私を心から慕ってくれている。そうだろう?」
まるで小さな子供に言い聞かせるように、私は優しい声でそう言い、メイジーの頬をそっと撫でた。
「……ええ。そうよ。私がいちばんレオ様を愛しているの」
メイジーは瞳を潤ませて、私の手のひらに自らの小さな手のひらを重ねた。
「それなら、私たちふたりのために頑張れるはずだ。サフィアにできたんだ。君にだって必ずできる。一刻も早く、結婚パーティーをしたいと言っていたじゃないか。その夢を叶えよう」
「……そうよね。わかった」
聞き分けのいいメイジーは、昔みたいに可愛らしかった。
まだ自分にも、彼女を愛しいと思う感情が残っていてよかったと安堵する。
この一週間、私もいろんなことを考えさせられた。メイジーのいない王宮は静かで……平和だった。
だが、華やかさや日々を彩る刺激が足りなかったのは事実だ。
こうして腕の中に閉じ込めると、やはりメイジーでしか得られない温もりがあると実感する。
無事に仲直りできた。これできっと大丈夫。
――そんな私の期待は、翌日に裏切られることとなる。
メイジーがまた体調不良を理由に、王妃教育を休んだのだ。それも一日だけではない。次の日も、その次の日も……。
「もう我慢なりません。わたくしは本日限りで、メイジー様の王妃教育係を辞任させていただきます」
十日間、イザベラは待ってくれた。だが十日間経っても顔すら見せないメイジーにイザベラはしびれを切らし、教育係を自ら辞めていった。
メイジーは王妃教育の時間になるとストレスで腹痛が襲ってくると言い、部屋に引きこもる。そしてイザベラが帰ったとわかると、元気になって部屋から出てくる。
彼女が王妃教育を意図的にサボッているのはわかっていた。だがそこを責め立てると癇癪を起こし、怒りの矛先は私に向かってくる。
私とて忙しい。メイジーの相手をするのが面倒になり、彼女を避けた。つい十日前に再確認した愛は、もはや燃えカス程度にしか残っていない。
「イザベラ、ついに辞めたの? やったわ!」
彼女が辞任したと告げると、メイジーは大喜びした。
「レオ様、私がなんの意味もなく、王妃教育を休んでいると思ったでしょう?」
「……理由があったのか?」
「イザベラを辞めさせるためよ。あの女、絶対に私にだけ厳しくしていたわ。でもプライドが高そうだし、こちらから解雇したら面倒そうじゃない? だから、辞めてもらうよう仕向けたの!」
またふざけたことを言い始めた。
十日間も王妃教育を怠り、教育係に見放されたという噂が立つ方が損に決まっている。メイジーはなにもわかっていない。こちらから解雇したとなれば、いくらでも言い分はあったというのに。
「はー。せいせいした。毎日意味もなく足を運ばされて、どんな気分だったのかしら。少しは仕返しできたわね。」
……結局、イザベラに仕返しをするのが本来の目的だったか。
メイジーなら『あの女を解雇して!』と私に泣きつくくらい容易かっただろうに。くだらない仕返しのために、よくもこんな無駄な時間をかけたものだ。
「レオ様、次はもっと親切な教育係にしてもらえる? あの女でなければ頑張れるわ。それに、もっとスムーズに進むと思うの!」
メイジーがなんの悪気もなしに言っているのは、彼女の無邪気な笑顔を見ていたらわかる。だけど私は、悪気がなしにそのようなことを言えるほうが恐ろしかった。
実家から戻ってきたあの日、最初から教育係を変えてほしいと言っていれば、この十日間は無駄にならなかった。
イザベラの怒りも買っただろうが、どうにか宥められただろう。
散々迷惑をかけておいて、優しい教育係を、なんて……。
――ふざけるな!
喉元までこみ上げた言葉を、ギリギリのところで飲み込んだ。
私までヒステリックを起こしてどうする。ここは年上の私が冷静になり、物事を迅速かつ円滑に進めることだけを考えるんだ。
「わかった。べつの教育係を用意してもらおう」
王妃教育が進むなら、もうなんでもいい。