ふつつかな才女は、お望みどおり身を引きます~国より愛を選んだ婚約者と妹、そして残された人々の後悔~
【教育係・イザベラの傍白】

 もう既に終えたはずの王妃教育をするために、また王宮に呼び戻された。
 何事かと思っていたら、どうやらサフィア様とレオナルド殿下が婚約を解消なさったらしい。
 そして次の王妃候補は、サフィア様の義理の妹、メイジー様という。
 事前に殿下から『彼女はサフィアと違っていい子だ。可愛げも有り余るほどある。それでいて、サフィアより優秀だ』と聞かされていた。
 あんなに機嫌が良さそうに婚約者の話をする殿下は初めて見た。殿下はメイジー様のことは、本当に好いているのだろう。
 たしかに、サフィア様はまったく可愛げがなかった。
 グラントリー侯爵家の才女として名は知られていたが、優秀なだけで人間味のない、機械のような人。
 こちらが教える立場にあるというのに、どうしてか、こちらが見定められているような気分になる。そんなサフィア様が私は苦手だった。
「初めまして。メイジーです。どうぞこれからよろしくね」
 教育室に訪れたメイジー様を見て、私は驚愕した。
 サフィア様と違って無駄に甘ったるい声に、営業用とも見えるとびきりの笑顔。
 なるほど。殿下の言う通り、サフィア様の何倍も可愛げはある。しかし、私が驚いたのはそこではない。
 マナーがまるでなっていない。
まず、次期王太子妃であっても、教育係の私に『よろしくね』などと言うのはありえない。さらに、頭を下げることもせず、なぜか両手を顎の下に乗せて、同性の私に可愛らしさをアピールしている。
「どうしたの? えーっと、イザベラだっけ?」
 出会って数秒で眩暈がしたのは初めてだ。
「オホンッ。メイジー様。この時間だけでも敬語を使い、わたくしのことは先生と呼んでください」
「ええ? そういうものなの? ……はぁい。せんせー。あんまり厳しくしないでくださいね」
「……では、始めます」
 これも彼女の可愛らしい個性と呼べばいいのだろうか。醸し出す雰囲気からして、とても優秀とは思えない。
指導を始めればぱっと切り替わると信じて、私は基本的な礼儀作法からスタートした。こんなのは貴族令嬢ならば当たり前に身についているもので、きちんとできているかの確認作業にすぎない。
 だが、メイジー様は想像以上にひどかった。
 公式な場での挨拶、適切な言葉遣い、立ち振る舞いや姿勢、歩き方に座り方――そのすべてがまるでできていない。
 さらにはできないことを恥じもせず『元平民だから仕方がない』『それっぽくやっていたら大丈夫よ。これまでも誰にも注意されなかったもの』と言い出す始末。
「これまではよくても、これからは許されません。王太子妃という立場の重さをご理解なさってください。基本ができるまで、何度でもやり直させます」
「えぇ? 信じられない! できているじゃない。何度立ったり座ったりさせるのよ!」
「敬語が抜けていますよ」
「私、未来の王太子妃よ。あなたより偉いもの」
 絶句した。
 普段なら少しでも舐めた態度を取られようものなら、どんな相手でも鬼と化していたこの私が、もはや言葉も出てこない。
 彼女がサフィア様より優秀? どこが? 可愛げがあること以外に、サフィア様に勝てる部分がどこも見つからない。
 そもそもサフィア様より優秀な令嬢など、国中を探しても現れやしないというのに。
 少なくとも、私はこれまで何人もの令嬢の教育係と担当したが、あれほど完璧な女性は見たことがない。
 
 王妃教育を初めて三日目。
 まだ挨拶もまともにできない状態だが、これ以上続けても埒が明かないと思い、食事のマナー教育に切り替えた。
 カンッ! カシャッ!
 教育室には、金属のぶつかり合う嫌な音が鳴り響き、私は反射的に耳を塞いでしまう。
「メイジー様、何度言えばわかるのですか。ナイフとフォークの使い方を説明するのはこれで四度目です」
「わかってるわよ。でもできないの! あなたの説明が下手なせいよ。これでは、できるものもできやしないわ」
 もう敬語について指摘するのは、とうの昔に諦めた。私が指導を諦めるなど、後にも先にもメイジー様くらいだろう。
「そんなことはありません。あなたのお姉様は一発でやってのけましたよ」
 私がぴしゃりと言い放つと、メイジー様の顔色が一気に変わった。
「……う、うるさいわ! お姉様は地味だから、ああいうので点数を稼ぐしか……」
「マナーに地味も派手も関係ございません。もう一度。椅子にかけるところからやり直しです」
「……っ! う、うぅ、うわぁぁぁぁん!」
 なにかの糸が切れたみたいに、突然メイジー様が大声で泣き喚き始めた。
 泣きながら、ちらちらと私の反応を窺っている。まさか、泣けば私が慌てるとでも思ったのだろうか。
「わあぁぁぁ、うわぁぁぁ!」
十九歳の令嬢が、子供のように泣きじゃくる姿は見るに堪えない。私は厳しい家庭で育ち、こんなふうに声を上げて泣いたら、たとえ五歳でも頬をぶたれて叱られていた。
いったい彼女はどのような環境で育てられたのか。本当にサフィア様と同じ屋根の下で暮らしていたのだろうか。
「どうしたんだ!?」
 騒音ともいえる泣き声に気が付いて、レオナルド殿下が教育部屋に駆け込んできた。そして、私とメイジー様を交互に見て眉間に何本も皺を寄せている。
「な、なにが起きたんだ。この状況はいったい……」
「レオ様、レオ様ぁ」
「落ち着けメイジー。淑女がそんなにみっともなく泣くものではない」
「……レオ様まで、なんでそんなこと言うの」
 今度はしくしくと悲劇のヒロインみたく泣き始める。そんなメイジー様を見て、殿下は開いた口が塞がらないようだ。
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