ふつつかな才女は、お望みどおり身を引きます~国より愛を選んだ婚約者と妹、そして残された人々の後悔~
「イザベラ、彼女になにがあったんだ? こんなふうに取り乱す女性ではないはずなんだが……」
「なにがあったと言われましても、いつも通り指導をしていただけです。食器をぶつけて音を立てたりと、食事のマナーがまるでなっていないので、やり直しを命じました。メイジー様はそれをわたくしの指導が悪いとご指摘されたので、サフィア様は一発でやってのけたと説明したところ、このような状態に」
 淡々と説明すると、殿下の表情がみるみると険しいものになっていく。
「メイジー、君は、たったそれだけで泣いているのか?」
「それだけ!? お姉様と比べるなんてひどいじゃない! それにきっと、イザベラは私に意地悪をしているんだわ。お姉様よりずっと厳しくしているのよ」
「……そうなのか? イザベラ。メイジーが可愛いからって、君は――」
「たいへん心外なお言葉です。正直に申し上げるとするならば、サフィア様の何倍も優しく指導をしております」
 通り越していた怒りが、今になってふつふつと湧いてくる。
 私が可愛さに嫉妬して意地悪をした? そんな余裕もないくらい、メイジー様はなにもできないというのに。
「もしわたくしが意地悪をするのであれば、可愛げのない優秀すぎる相手にでしょう。あまりにできない相手に対しては、意地悪をする時間ももったいないですから」
 王妃教育がまったく進んでいないことを匂わせると、殿下はぐっと押し黙った。
 ――たしかに私は、サフィア様には意地悪をしてしまった。
 高難易度のものを抜き打ちで要求したこともある。しかし、彼女はなんでもこなしてしまう。
歴史の授業も、外国語も、マナーも、すべてのジャンルにおいて苦手なものがなかった。
 本来なら指摘しないでいいレベルのミスを指摘するくらいしか私の出番はなく、教育係として、その凄さに圧倒させられた。
 王宮のほかの使用人たちは、サフィア様はおとなしそうに見えて裏ではすごいとか、性格が悪いとか、口々に言っていた。
私も気づけばその空気に呑まれて、サフィア様の粗を探すのに必死になっていた時期もある。
 必死にならなければ見つからないほど、彼女には粗がなかったからだ。
 しかし、幸いなことに私は、その嫌な空気の正体に早めに気がついた。
 サフィア様は本当に完璧すぎたからこそ、みんなに疎まれ、嫉妬された。そして見つからない粗は、捏造して作り出すしかなかった。
 つまり、王宮に蔓延るサフィア様の噂は、すべて嘘だということ。そんなのは、毎日数時間サフィア様と関わっていたらすぐに気が付く。
 ――殿下もきっと嘘をついて味方を作り、自分のプライドを保っていたに違いない。
 サフィア様の王妃教育の際、私に『厳しく指導してやってくれ』と言いに来たのも、間接的になんとかサフィア様を苦しめたかったのだ。
 そしてサフィア様はきっと、そんな思惑に気づいていた。気づいたうえで、完璧にやってみせたのではないか。
「ひどい、ひどいわイザベラ。そうやって私をいじめるのね」
 ……メイジー様は私が少しなにかを言っただけでここまで泣いているのに、サフィア様は一度も動揺すら見せなかったのを思い出す。
 サフィア様の精神がメイジー様よりずっと大人で、強いからもあるだろう。しかし、それよりも、サフィア様は慣れてしまっていたのではないか。
 身近な人から、厳しい目を向けられることに。
 逆にここでまだ悲劇のヒロインごっこを続けるメイジー様は、甘やかされて育ち、否定されることに慣れていないのだろう。
「もう今日は、王妃教育を続けたくない……」
 ぽろぽろと涙をこぼし、消え入る声でメイジー様が言った。
「……わかった。今日は終わりにしよう」
 殿下もこれ以上は難しいと判断したのか、私に教育部屋を出ていくよう目くばせしてくる。だが、その表情には焦りが滲んでいた。
「すまないイザベラ。今日はたぶん、調子が悪かっただけなんだ。明日になればまた彼女も頑張れる」
「そうですか。では明日、期待しております。なんせこの三日間で、メイジー様はなにひとつ王妃教育をクリアできておりませんので」
「ひ、ひとつも……?」
「はい。お辞儀から姿勢まで、すべてできておりません。殿下は一緒にいて、注意をしなかったのでしょうか? それともまさか、そんなところも可愛いと思って放置していたのですか?」
 ぎくりとした表情を浮かべる殿下を見て、図星だとわかった。
「……きちんとした場所では、ちゃんとできると思っていたんだ」
「普段していないことが、公式の場でできるとでも? 大体、殿下はメイジー様を、サフィア様よりも優秀だと仰っていましたが」
 さらにばつが悪そうな顔をする。この様子だと、殿下にとってもこの展開は想定外だったのだろうか。
 近くにいればその発言が虚言だと、すぐ気が付くだろうに。恋は盲目とはこのことかと、私は呆れ果てた。
「い、いや、だから、そのはずなんだ。今日は調子が悪いだけだと言っただろう?」
「では、明日からはもっと厳しく指導させていただきます。サフィア様より優秀であれば、サフィア様と同じレベルの指導をしても問題ないでしょう。ただし、またこのように泣かれては困ります。メイジー様の評価は、殿下にも直接影響することをお忘れなく」
「そんなことはわかっている! 大体、それを言うならきちんと指導できない君にも影響が……」
「わたくしが以前指導したサフィア様の王妃教育の結果を、この王宮の誰もが知っております。わたくしの指導に問題があると言うのならば、是非王妃教育を見学してみてはどうです? ……それでは。本日は続行不可能とのことなので、わたくしはお先に失礼いたします」
 言葉が出ず口をぱくぱくさせるレオナルド殿下の横を素通りして、地獄のような教育部屋を後にした。
「……あの様子では、長く続かないわね」
 王妃教育はもちろんのこと――あのふたりの関係も。
 殿下はメイジー様を好いていると思っていたけれど、あれはただ一時的に、サフィア様からは得られなかったときめきと刺激に夢中になってしまっただけ。
 本当に愛していたにしては、メイジー様のことを知らなすぎる。つまり、上っ面のいい部分しか見ようとしなかったということ。
 さっき、殿下はメイジー様を庇っているように見えながら、ずっと自分の見栄を気にしていた。見栄のために、彼女が無能だという可能性を必死で振り切ったのだ。
 殿下もきっと、メイジー様にうまく騙されたのだろう。彼女は王妃教育はまるでだめだが、男性に甘えるのは得意そうだ。
「……サフィア様」
 私の厳しく、時には無理難題な指導に、文句ひとつ言わずついてきた完璧な女性。完璧すぎて周囲から疎まれた、かわいそうな人。
 ――彼女を王妃にしていたならば、この国も、殿下も安泰だっただろうに。
 きっとこの先、王宮の人たちは皆、私のように思い知るだろう。
 サフィア・グラントリーという女性が、どれだけすごい女性だったのかを。
< 6 / 16 >

この作品をシェア

pagetop