ふつつかな才女は、お望みどおり身を引きます~国より愛を選んだ婚約者と妹、そして残された人々の後悔~
** *
あまりに想定外なことが起きた。メイジーの王妃教育がまったく進まない。
加えて、彼女がまるで年相応とは思えない泣き喚き方をして、私は絶句してしまった。王宮の使用人も眉をひそめ、国王陛下――父上にさえ「あれはなんの真似だ」と呼び出されて注意される始末。
「ねえレオ様、結婚パーティーの日取りはまだ決まらないの?」
それなのに当の本人は、私の部屋でだらだらとくつろいでいる。明日も王妃教育があるというのに、あれだけ叱られて予習すらしようとしない。
「パーティーも結婚もまだ早い。私と君は婚約したばかりだ。まずはきちんと王妃教育と公務をそれなりにこなして、父上やほかの重役たちに認められないと。サフィアとの結婚にも、だいぶ時間を要していただろう?」
「それはレオ様がお姉様を愛していなかったからでしょう? 私たちは愛し合っているのだから、すぐ結婚しても問題ないわ。大事なのは気持ちだもの」
「……メイジー。君はいつまで平民気分でいるんだ。気持ちだけで結婚は決められない。私の立場を考えてくれ」
「王太子って立場にいるのだから、レオ様が国王陛下に頼めば結婚なんて簡単じゃない」
まったく話が通じない。頭痛がしてきた。
「早く結婚パーティーを開いて、素敵なドレスを着てみんなの前でお披露目したいわ。きっと、この国の誰もが羨ましがるでしょうね」
「……とにかく、それを実現したいなら王妃教育を頑張ろう。王妃になるには、王妃教育をすべてクリアすることが必須になる」
「ええ。私、もうあんなの耐えられない。イザベラったら、いちいち細かいんだもの」
「食事のマナーくらいはやればできるだろう。晩餐で練習したっていい」
「ナイフとフォークを使って音を立てないなんて無理よ。大体これまでレオ様だってなにも言わなかったじゃない」
イザベラにもなぜ気づかないのかと咎められたが、正直私は、婚約するまでメイジーときちんとした食事の時間を共にしたことがあまりなかった。
いつもお菓子をつかむか、軽食のサンドイッチを食べたり、スープを飲んだりとその程度。彼女との密会のほとんどの時間は体を重ねていたため、食事に時間をかけることもなかった。
まるで私が体目当てのように思われるかもしれないが、メイジーもそれを望んでいたのだ。それに、浮気関係にあったため、公の場で食事をすることもできなかった。
婚約してから共に晩餐の時間を設けてはいたが、メイジーは小食を理由にして私の前ではあまり食べなかった。お腹がすいたら、後で夜食をもらうと言って……。
今思えばあれは、私に食事マナーを見せないためにしていたのか? それなら、本人に自覚があったはずだ。私に見られてはまずいという自覚が。
「メイジー。君は自分で言っていた。サフィアよりも自分は優秀だと。私に嘘をついたのか?」
「……そ、それは違うわ。私がお姉様より優秀なのは……仕事、仕事のことよ!」
外交に関しては自信があると、メイジーは目を泳がせて言う。
――たしかにサフィアも“メイジーのほうが仕事もできて、頭もいい”と言っていた。仕事の能力と頭の良さは、言われてみると王妃教育には直結していない……かもしれない。
「明日からは王妃教育をきっと頑張るわ」
首を傾げ、メイジーは私の腕に自らの腕を絡ませる。甘えた表情で私に縋るメイジーは、やはり可愛かった。
今は、彼女のことを信じるしかない。メイジーならきっとやってくれる。彼女はサフィアから略奪するほど、私を好いているのだ。
私と結婚するためなら、厳しい王妃教育にも耐えて、見違えた姿を見せてくれる――そうしてくれないと、私が困る。
サフィアと違い、メイジーは私自らが選んで婚約した相手。私の見る目を疑われる。そんなことあってはならない。
しかし、メイジーは次の日も、その次の日もイザベラに叱られて泣いていた。
教育部屋から聞こえる泣き声に、使用人たちもため息をつき「まただわ」と囁いている。泣くと私が来てくれることに味を占めたのか、メイジーは泣けばどうにかなると思っているのだ。
そんな彼女の考えに気づいた私は、次の日は泣き声が聞こえても教育部屋を訪ねなかった。するといつの間にか静かになり、私は安心した。
ようやく彼女も、泣いてもどうにもならないとわかったか。今日はイザベラだけに任せられそうだ。メイジーも頑張っただろうから、終了時刻には部屋に顔を出してやろう。
そう思い、王妃教育の終わりを見計らって教育部屋に行くと、そこにメイジーの姿はなかった。
「ど、どういうことだイザベラ! メイジーはどこに行ったんだ!?」
「いつものようにわたくしに叱られて泣いた後、少し休憩をすると言ってから戻ってきません」
「なんだと……!?」
「ボイコットですね。殿下が慰めに来てくれなかったことに拗ねたのでしょう」
もう呆れを通り越し無の表情をして、イザベラが言う。
「そんな、王妃教育をボイコットだなんて……」
「前代未聞です。……レオナルド殿下。この機会に申し上げるのですが――殿下のためにも、サフィア様を呼び戻した方がよいと思います」
「……そんなの、無理に決まっているだろう!」
「ですが、このままでは殿下の評判は下がるばかりです。サフィア様もたしかに王宮内であまり好まれてはおりませんでしたが、メイジー様のせいで、今になってサフィア様を惜しむ声が上がっているのをご存知でしょうか。殿下はサフィア様が実際には公務を怠っていたと吹聴していたようですが、あれは真実だったのですか?」
今になって疑念の目を向けてくるイザベラに、私は無性に腹が立った。
「今さらなにを言う。あいつらだって、サフィアに冷たく接していたくせに」
「はい。それは事実で、否定する気もございません。しかし、そうする空気を作ったのは……殿下ではありませんか?」
「言いがかりはよしてくれ。それに、私は真実しか言っていない。なによりの原因はサフィアに可愛げがまったくなくて、優秀でも誰かに好かれるような愛嬌を持ち合わせていなかったことだ。あいつが慕われなかったのは、自業自得だ」
才女という呼び名に甘んじて、私にさえ媚びを売らず、好かれる努力もしない。その上、一歩も引かずに私よりも多くの功績を上げようとしてくる。
「……人は、あまりに優秀な人を目のあたりにすると、自分の価値が低く感じられることがあるそうです」
「……? だからなんだ」
「きっと心に余裕があり、自信があり、自分をちゃんと愛せている人ならば、サフィア様を素直に尊敬できたのでしょう。……サフィア様が笑顔を見せてくれなかったのは、こちら側に原因があったのかもしれません」
「それは、私に原因があると言いたいのか? 私が元からサフィアに劣っていたと?」
イザベラはゆっくりと首を左右に振って否定する。
「いいえ。今のは自分への戒めの言葉です。もっとサフィア様という人間を深く見てあげるべきでした。才女という言葉で片づけず、その努力に目を向けるべきだったのです。……殿下、可愛げがないというのは、そんなに悪いことでしょうか? 可愛げしかないメイジー様が、サフィア様よりも優れているといえますか? もう一度、よく考えてください」
そう言って、イザベラは教育部屋から出て行った。
なんともいえない苛立ちが、心臓からじわりと広がって気持ちも悪ければ気分も悪い。
なんであんなただの教育係に、えらそうにされなくてはならないんだ! なにが努力だ。あんなのは綺麗ごとだ!
今すぐイザベラに言い返してやりたいが、このままメイジーを放っておくわけにもいかない。
王妃教育をボイコットして実家に帰ったなんて、世間に知られてはたまったものではない。
私が外に出ようとすると、御者が「グラントリー侯爵令嬢が実家に帰った」と教えてくれた。なんでもすごい剣幕で馬車を出させたらしい。
「もうひとつ、グラントリー侯爵家令嬢から殿下に伝言が。……最低でも一週間は、そっとしてほしいとのことです」
「……一週間?」
「は、はい。スパルタな王妃教育に、精神をやられたとかなんとか……」
精神がやられるのはこっちのほうだ。
どうせ、私がすぐに慰めに行かなかったことへの仕返しと、王妃教育から逃げ出すためにそんな伝言を残していったに決まっている。
「……婚約するまでは気づかなかったが、これほどまでに面倒な女だったとは」
小さな声だったが、心の中に秘めていようと思った本音がつい漏れ出てしまった。
「殿下? なにか仰いましたか?」
「いいや。なんでも」
いけない。私も冷静さを失っている。
少し面倒なくらいが、可愛くていいじゃないか。それに、メイジーは仕事さえ頑張ってくれればこの先いくらでも評価を巻き返せる。
彼女は環境の変化に戸惑っているだけ。時が経てば、また私を癒してくれるメイジーに戻ってくれる。
彼女への焦り、苛立ちが湧いてくるたびに、過去に感じた愛しさを呼び起こしてなんとか持ち直す。
今回はおとなしく、一週間待ってみよう。この期間で、私も冷静さを取り戻そう。
どうせ実家に行くのなら、グラントリー侯爵からも直接メイジーにこの事態を注意してもらいたいが、彼は現在出張中で残念ながら王都にいない。それはまたべつの機会になりそうだ。
――一週間後。私はメイジーを追いかけてグラントリー侯爵家に向かった。
あまりに想定外なことが起きた。メイジーの王妃教育がまったく進まない。
加えて、彼女がまるで年相応とは思えない泣き喚き方をして、私は絶句してしまった。王宮の使用人も眉をひそめ、国王陛下――父上にさえ「あれはなんの真似だ」と呼び出されて注意される始末。
「ねえレオ様、結婚パーティーの日取りはまだ決まらないの?」
それなのに当の本人は、私の部屋でだらだらとくつろいでいる。明日も王妃教育があるというのに、あれだけ叱られて予習すらしようとしない。
「パーティーも結婚もまだ早い。私と君は婚約したばかりだ。まずはきちんと王妃教育と公務をそれなりにこなして、父上やほかの重役たちに認められないと。サフィアとの結婚にも、だいぶ時間を要していただろう?」
「それはレオ様がお姉様を愛していなかったからでしょう? 私たちは愛し合っているのだから、すぐ結婚しても問題ないわ。大事なのは気持ちだもの」
「……メイジー。君はいつまで平民気分でいるんだ。気持ちだけで結婚は決められない。私の立場を考えてくれ」
「王太子って立場にいるのだから、レオ様が国王陛下に頼めば結婚なんて簡単じゃない」
まったく話が通じない。頭痛がしてきた。
「早く結婚パーティーを開いて、素敵なドレスを着てみんなの前でお披露目したいわ。きっと、この国の誰もが羨ましがるでしょうね」
「……とにかく、それを実現したいなら王妃教育を頑張ろう。王妃になるには、王妃教育をすべてクリアすることが必須になる」
「ええ。私、もうあんなの耐えられない。イザベラったら、いちいち細かいんだもの」
「食事のマナーくらいはやればできるだろう。晩餐で練習したっていい」
「ナイフとフォークを使って音を立てないなんて無理よ。大体これまでレオ様だってなにも言わなかったじゃない」
イザベラにもなぜ気づかないのかと咎められたが、正直私は、婚約するまでメイジーときちんとした食事の時間を共にしたことがあまりなかった。
いつもお菓子をつかむか、軽食のサンドイッチを食べたり、スープを飲んだりとその程度。彼女との密会のほとんどの時間は体を重ねていたため、食事に時間をかけることもなかった。
まるで私が体目当てのように思われるかもしれないが、メイジーもそれを望んでいたのだ。それに、浮気関係にあったため、公の場で食事をすることもできなかった。
婚約してから共に晩餐の時間を設けてはいたが、メイジーは小食を理由にして私の前ではあまり食べなかった。お腹がすいたら、後で夜食をもらうと言って……。
今思えばあれは、私に食事マナーを見せないためにしていたのか? それなら、本人に自覚があったはずだ。私に見られてはまずいという自覚が。
「メイジー。君は自分で言っていた。サフィアよりも自分は優秀だと。私に嘘をついたのか?」
「……そ、それは違うわ。私がお姉様より優秀なのは……仕事、仕事のことよ!」
外交に関しては自信があると、メイジーは目を泳がせて言う。
――たしかにサフィアも“メイジーのほうが仕事もできて、頭もいい”と言っていた。仕事の能力と頭の良さは、言われてみると王妃教育には直結していない……かもしれない。
「明日からは王妃教育をきっと頑張るわ」
首を傾げ、メイジーは私の腕に自らの腕を絡ませる。甘えた表情で私に縋るメイジーは、やはり可愛かった。
今は、彼女のことを信じるしかない。メイジーならきっとやってくれる。彼女はサフィアから略奪するほど、私を好いているのだ。
私と結婚するためなら、厳しい王妃教育にも耐えて、見違えた姿を見せてくれる――そうしてくれないと、私が困る。
サフィアと違い、メイジーは私自らが選んで婚約した相手。私の見る目を疑われる。そんなことあってはならない。
しかし、メイジーは次の日も、その次の日もイザベラに叱られて泣いていた。
教育部屋から聞こえる泣き声に、使用人たちもため息をつき「まただわ」と囁いている。泣くと私が来てくれることに味を占めたのか、メイジーは泣けばどうにかなると思っているのだ。
そんな彼女の考えに気づいた私は、次の日は泣き声が聞こえても教育部屋を訪ねなかった。するといつの間にか静かになり、私は安心した。
ようやく彼女も、泣いてもどうにもならないとわかったか。今日はイザベラだけに任せられそうだ。メイジーも頑張っただろうから、終了時刻には部屋に顔を出してやろう。
そう思い、王妃教育の終わりを見計らって教育部屋に行くと、そこにメイジーの姿はなかった。
「ど、どういうことだイザベラ! メイジーはどこに行ったんだ!?」
「いつものようにわたくしに叱られて泣いた後、少し休憩をすると言ってから戻ってきません」
「なんだと……!?」
「ボイコットですね。殿下が慰めに来てくれなかったことに拗ねたのでしょう」
もう呆れを通り越し無の表情をして、イザベラが言う。
「そんな、王妃教育をボイコットだなんて……」
「前代未聞です。……レオナルド殿下。この機会に申し上げるのですが――殿下のためにも、サフィア様を呼び戻した方がよいと思います」
「……そんなの、無理に決まっているだろう!」
「ですが、このままでは殿下の評判は下がるばかりです。サフィア様もたしかに王宮内であまり好まれてはおりませんでしたが、メイジー様のせいで、今になってサフィア様を惜しむ声が上がっているのをご存知でしょうか。殿下はサフィア様が実際には公務を怠っていたと吹聴していたようですが、あれは真実だったのですか?」
今になって疑念の目を向けてくるイザベラに、私は無性に腹が立った。
「今さらなにを言う。あいつらだって、サフィアに冷たく接していたくせに」
「はい。それは事実で、否定する気もございません。しかし、そうする空気を作ったのは……殿下ではありませんか?」
「言いがかりはよしてくれ。それに、私は真実しか言っていない。なによりの原因はサフィアに可愛げがまったくなくて、優秀でも誰かに好かれるような愛嬌を持ち合わせていなかったことだ。あいつが慕われなかったのは、自業自得だ」
才女という呼び名に甘んじて、私にさえ媚びを売らず、好かれる努力もしない。その上、一歩も引かずに私よりも多くの功績を上げようとしてくる。
「……人は、あまりに優秀な人を目のあたりにすると、自分の価値が低く感じられることがあるそうです」
「……? だからなんだ」
「きっと心に余裕があり、自信があり、自分をちゃんと愛せている人ならば、サフィア様を素直に尊敬できたのでしょう。……サフィア様が笑顔を見せてくれなかったのは、こちら側に原因があったのかもしれません」
「それは、私に原因があると言いたいのか? 私が元からサフィアに劣っていたと?」
イザベラはゆっくりと首を左右に振って否定する。
「いいえ。今のは自分への戒めの言葉です。もっとサフィア様という人間を深く見てあげるべきでした。才女という言葉で片づけず、その努力に目を向けるべきだったのです。……殿下、可愛げがないというのは、そんなに悪いことでしょうか? 可愛げしかないメイジー様が、サフィア様よりも優れているといえますか? もう一度、よく考えてください」
そう言って、イザベラは教育部屋から出て行った。
なんともいえない苛立ちが、心臓からじわりと広がって気持ちも悪ければ気分も悪い。
なんであんなただの教育係に、えらそうにされなくてはならないんだ! なにが努力だ。あんなのは綺麗ごとだ!
今すぐイザベラに言い返してやりたいが、このままメイジーを放っておくわけにもいかない。
王妃教育をボイコットして実家に帰ったなんて、世間に知られてはたまったものではない。
私が外に出ようとすると、御者が「グラントリー侯爵令嬢が実家に帰った」と教えてくれた。なんでもすごい剣幕で馬車を出させたらしい。
「もうひとつ、グラントリー侯爵家令嬢から殿下に伝言が。……最低でも一週間は、そっとしてほしいとのことです」
「……一週間?」
「は、はい。スパルタな王妃教育に、精神をやられたとかなんとか……」
精神がやられるのはこっちのほうだ。
どうせ、私がすぐに慰めに行かなかったことへの仕返しと、王妃教育から逃げ出すためにそんな伝言を残していったに決まっている。
「……婚約するまでは気づかなかったが、これほどまでに面倒な女だったとは」
小さな声だったが、心の中に秘めていようと思った本音がつい漏れ出てしまった。
「殿下? なにか仰いましたか?」
「いいや。なんでも」
いけない。私も冷静さを失っている。
少し面倒なくらいが、可愛くていいじゃないか。それに、メイジーは仕事さえ頑張ってくれればこの先いくらでも評価を巻き返せる。
彼女は環境の変化に戸惑っているだけ。時が経てば、また私を癒してくれるメイジーに戻ってくれる。
彼女への焦り、苛立ちが湧いてくるたびに、過去に感じた愛しさを呼び起こしてなんとか持ち直す。
今回はおとなしく、一週間待ってみよう。この期間で、私も冷静さを取り戻そう。
どうせ実家に行くのなら、グラントリー侯爵からも直接メイジーにこの事態を注意してもらいたいが、彼は現在出張中で残念ながら王都にいない。それはまたべつの機会になりそうだ。
――一週間後。私はメイジーを追いかけてグラントリー侯爵家に向かった。