ふつつかな才女は、お望みどおり身を引きます~国より愛を選んだ婚約者と妹、そして残された人々の後悔~
【グラントリー侯爵家侍女長・エラの後悔】

 一週間前、急にメイジーお嬢様が屋敷に帰ってきた。
 原因は王宮でのいざこざという。なんでも教育係に嫌がらせを受け、それをレオナルド殿下が庇ってくれなかったのが理由らしい。
 奥様は「なんてかわいそうなメイジー。ここでゆっくり休みなさい」と言ってろくに話を深堀せずにメイジーお嬢様を迎え入れた。弟のジョシュア様も特になにも気にした様子はなく、我関さずといった様子だ。
 旦那様は出張で不在だが、ここに旦那様がいたとしても、メイジーお嬢様の帰りを喜ぶだけだろう。
……なぜならここは、メイジーお嬢様が三人の子供の中で誰よりも愛され、甘やかされている世界だからだ。
 ちょっと前までは、私もその世界の住人だった。しかし、今は状況が違う。
 こんな緊急事態にメイジーお嬢様が帰ってきては、非常に困るのだ。でも、奥様もメイジーお嬢様も、使用人のことなど気にも留めない。
以前と変わらない態度で、平然とわがまま放題している。
「ねえ、やっぱりこの髪型気に入らないわ。解いて梳かし直してくれる?」
 今もまた、洗濯物を抱えた私にお嬢様が声をかけてきた。
 どうやらアップにまとめた髪型が、今になって気に入らなくなったらしい。
「申し訳ございませんお嬢様。こちらをすべて干し終わってからでもよろしいでしょうか」
「えぇ? じゃあ、今すぐ動けるほかの侍女を呼んできて」
「現在残りの者もすべて持ち場にいるため、難しいかと……」
「なんなのエラ。私の言うことが聞けないの?」
 あからさまに、メイジーお嬢様の声が低くなる。
 これまでなにを言われてもイエスしか言わなかった私が、少しでもノーを口にすると、決まってメイジーお嬢様はこう言うのだ。
「ふん、もういいわ。なにもできないならとっとと私の前から消えて。邪魔よ!」
 メイジーお嬢様は私の体を強く押しのけると、貴族令嬢とは思えない大股でずかずかと歩いて行った。
 衝撃で私の体はふらつき、持っていた洗濯物が床に散らばる。
「あ、ああ。洗い直さなくては……」
 衣服の取り扱いは、特に慎重にやらなくてはならない。
何故なら、奥様やメイジーお嬢様の着用する衣服は物凄く高価なものだからだ。床に落としたものをそのまま干すなんて、絶対にやってはならない。
 一着ずつ散らばった衣服を拾い上げ、私は洗濯をやり直すために来た道を引き返す。
「侍女長、なにをしているのですか」
「それが、洗濯物を落としてしまって……」
 道中ですれ違った侍女が、私の返事を聞いて眉をひそめる。その表情は誰がどう見たって上司に向けるものではない。
「ただでさえ忙しいというのに、勘弁してください。それともこれまで仕事をまともにしていなかったせいで、洗濯のやり方も忘れたのですか?」
「ちょっとあなた、手伝いもせずになにを言うの。口を慎みなさい!」
 さすがの暴言に黙っていられず、私はカッとなり言い返した。
「本当のことでしょう。侍女長は奥様とメイジー様に媚を売って、サフィア様をいじめることに尽力していたではありませんか。……その結果がこれですよ」
「……っ!」
「それと、私も今月末で退職させていただきます」
「! ま、待って。あなたまでいなくなるのは……!」
 私の引き止めも聞かずに、侍女は颯爽と私の横を素通りしていく。
 ――現在、グラントリー侯爵家は深刻な状態だ。理由は、侍女の一斉退職。
 サフィアお嬢様が、突如として姿を消した。そしてその後、妹のメイジーお嬢様がレオナルド殿下と婚約した。
 世間では、サフィアお嬢様が叶わぬ恋に疲れて身を引いたとか、元々メイジーお嬢様が婚約者候補だったのをサフィア様が奪い取ったとか、王妃という重圧に耐えかねて逃亡したとか、いろんな噂が立てられている。
 ただ一言『グラントリー侯爵家の未来を楽しみにしています』という書置きを自室に残して、サフィア様はいなくなった。
 それと同時に……この屋敷で働いていた侍女たちが数名、一斉に辞めていった。
全員が侍女長である私になにも言わず、ただ一方的な退職願を机の上に置いて去っていったのだ。
最初は契約違反だと憤り、彼女たちを追いかけようとしたが、奥様の「やめたい人はやめていいと私が言った」という冷ややかな言葉を聞いて足が止まった。
奥様の性格からして、去る者を追わないタイプなのだろう。むしろ、自分のやり方に従わない者は必要ない、というスタンスだ。
 私も奥様の意見に賛同し、最初はあまり気にも留めていなかった。いなくなったぶんは、新しく人員を確保すればいいと考えていた。
だが、すぐに考えの甘さに気づく。
 ――退職した侍女たちは、屋敷の中でも特に優秀な侍女たちだったのだ。
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