クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい


 でも今は撫子の気持ちを尊重してあげたい。
 テレビを消して、明りは一応つけたまま。ベッドに撫子を誘導して寝かせると、横になった宗一郎がまだ肘枕をつく前から撫子は胸元に潜りこんできた。

 「撫子さん?」

 なんか様子が違うな、と心配になる。会食から帰って来た時はそんな感じはしなかったのに。

 「ふふ、宗君ムチムチしてる」

 甘え、ふざけると言うよりその繊細な手は彼に縋っているようだった。
 寝間着と言うか肌着一枚の宗一郎の分厚い胸板は彼女に押されたくらいではびくともしないが、その奥にある心はなんだか心配の気持ちで一杯になる。宗一郎も撫子の背に腕を回し、そっと抱き込む。そうすれば温かな体温と一緒に気持ちがほぐされるようで、撫子の素の唇は今日の出来事を紡ぎだした。

 「今日、ね……この前会った光岡さんとの食事だったの。なんでもない仕事の延長線だったし社交辞令の話ばかりだったのに……私、帰って来て宗君を見たら自分がずっと不安だったのが分かったの」

 添えられていただけの指先が宗一郎の胸元に食い込む。

 「お風呂入ってて、なんかおかしいな、って……こんなの、初めてで」

 うん、うん、と言葉としての返事はないが宗一郎が頷きながら聞いてくれているのを感じる撫子は「もう良い歳なのに駄目ね。疲れてたのかも」とほろりと小さな涙を一粒落とす。

 「そうく、ん……ごめんね、重いこと言って」

 すん、と鼻をすする撫子がどんどん腕の中で小さくなっていく。
 裏社会の高嶺の花である女性の不安や弱音を分厚い胸で受け止める宗一郎の表情は撫子からは見えない。

 「……俺の性格だと撫子さんのことを束縛しちゃうと思って。そんな気持ちは我慢しよう、直そうと思ってたんですけど」

 肘枕をついていた宗一郎は仰向けになりながら撫子を体の上に乗せてしまった。

 「まだ直さなくていい、かな」

 ぎゅうと抱き締め、撫子の太腿に緩く膨らんでいる熱を擦り付ける。その彼の行為を撫子も黙って受け入れるように少し身を乗り出して宗一郎の首元に唇を寄せた。吸うと言うよりは小さく舐めるような愛情表現。
 愛しくてたまらない彼女からのこんな可愛いキス……ずっとずっとしていて欲しいな、と思った宗一郎は撫子がしたいようにさせ続ける。

 心の奥から滲み出るような愛情を交わしあえば溶け合うようだった。
 それからもあまり喘ぎはせず、互いに貪り合うようなセックスだったが啄み合うようなキスは今までより沢山した。

 夜中、穏やかに眠っている撫子を隣に置いてまだヘッドボードに背中を預けて起きていた宗一郎は腕を組み、片手で頬杖をつく。
 満足感と言うか、とても静かな交わりながら心はすごく満たされた夜だったのに彼女が教えてくれた『光岡令士』との会食の証言にベビーフェイスを強くしかめた。

 (よりにもよって、光岡さんだったなんて……)

 嫉妬ではない困惑と予期による不安感。
 頭の中では国見の姿も浮かんでいた。

 (国見組のあの若手を集めた情報収集と監視はドラッグの売人や流通経路の炙り出しの場だった。撫子さんは上手いこと売人を誘い出すエサにされていたけど)

 宗一郎は国見から「光岡興産の倅の台頭が妙だ」と聞かされていた。直近数件の会合の際に収集されたデータとの比較を根拠にしている為に何とも言えはしなかったが――今まで来もしなかった光岡令士がここのところ界隈でよく見かけられていると言う話。それに営業や社交辞令として撫子に会っていたとしても光岡の第一印象は宗一郎的には良くなかったのだ。
 野生のヒグマの勘。皆からイジられはしているが宗一郎本人もその勘は大切にしていた。

 光岡の、撫子を見る目。
 直感したあの違和感。

 どうせ国見は自分の根拠のない勘の話なんて聞いちゃくれないと思っていた。それに撫子を囮に使った事には強く怒っている。でも、もしここで自分が動かなければもっと撫子が危険な目に遭うかもしれない。

 宗一郎は自分の首元に手を触れる。
 さきほどシャワーを浴びた時、今にも消えてしまいそうだったが撫子が付けたキスの痕跡。その淡いキスマークはまるで彼女の名のナデシコの花びらのようだった。
 今、彼女は年下の自分を頼ろうとしてくれている。口でも「甘えたい」と言うようになった。撫子は確かに心のよりどころとして自分を頼りにしてくれようと……。

 背後のヘッドボードの上に置いてあったスマートフォンを手にした宗一郎は一つの短い文面を夜遅くではあったが打ちこみ、とある人物に送信する。それくらいの無礼、撫子を守るためなら詫びる肝などいくらでもある。

 「俺、どうしたらいい……」

 背中を丸め、膝を抱えた宗一郎は国見との会食の際に見本として見せられたパッケージの中にあった小さなラムネ菓子のようなドラッグを思い出してしまい、うずくまる。
 どうしたら一番良い方法で撫子を危険から遠ざけられるだろう。今までそんなこと考えてもみなかった。
 自分の判断を間違えてはならない局面に息を吸い、吐く。
 これは組の若い衆のケツを持ってやるのとは訳が違う。事態が悪いようだったら撫子の父親にも相談した方が良いかもしれない。龍堂邸で大切に育てて来た一人娘なのだから婿入りする身としてそれは当然のこと、と……。

 
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