クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい


 撫子は宗一郎から受け取ったメッセージの通りに行動をしただけだったが本当はとても怖かった。それに関本も宗一郎が言うように電話で席を外した時に初めて聞かされ、店の裏手に回っていたらしい。

 撫子は宗一郎のベッドに寝転がりながら考える。
 きっとあの時の関本は本当にただの友人同士としての会話をしてくれていた。計画の全てを知っていれば彼はそれこそ『友人として』危険を回避するためのヒントをくれたはずだ。関本はそう言う男性。彼が電話が来たからと席を外したとき、その電話の向こう側には国見がいた。関本は一向に戻って来ず、店の裏手に回って売人やその仲間たちを直接捕まえる為の指揮を執ることになり……だからフロアの方には代わりに宗一郎が来てくれた。それなら話の辻褄はぴったり合う。

 (宗君と国見さんって相性が悪そうだけど根の部分はもしかすると……関本君より合ってる?)

 宗一郎の深い部分も、これからもっとたくさん知ることが出来たらいいな、と撫子は思いながら余分に置いてあるクッションを抱き締める。これは二人で素肌を擦り合わせる夜に体格差からつらくならないよう、よく宗一郎が差し込んでくれるもの。

 時に精神的な負担になるほど考えすぎてしまう撫子のあまり良くない癖も、いつの間にか良い方向へと向いていた。
 彼からの愛情を素直に受け取り、大切にするようになった。簡単に出来そうに見えてもなかなか上手くはいかないことも二人一緒ならこの先も……。

 「ふふ」

 クッションを抱えて嬉しさを噛みしめている撫子はここで一気に眠気が押し寄せてきてしまい、宗一郎がベッドにいつ入ったのかも分からず朝まで眠りこけてしまった。


 翌朝、パチッと目が覚めた撫子は既に隣に彼がいない事に気が付いて慌てて時刻を確認する。会社の方には今日はもう休むことを昨晩の内に伝えており、それでも何か重要な事があれば連絡を寄越してくれ、と――いい匂いがする。
 宗一郎のほんの微かに感じる香水の匂いではなく。いつも自分が用意していた朝の匂い。

 (昨日の夕飯は軽くだったし、流石にお腹空いちゃったな)

 撫子はすんすんとリビングの方から漂って来る匂いを感じ取る。淹れたてのコーヒーに……これは目玉焼きとベーコンを焼いている匂い。
 あと青い匂いも混じっているからサラダでも作っているのだろうか。

 「宗君、おはよ」
 「おはようございます。加減はどうですか?」
 「うん、大丈夫」

 キッチンに立つ宗一郎の手元には朝食の皿。

 「朝ご飯はどうします?このまま食べますか」
 「食べる。お腹空いちゃった」
 「分かりました」

 にこにこと朝食の用意をする宗一郎の瞳は撫子の体調がどうか見極める。今日ばかりは、と言うかほぼ毎日朝食を食べるのならどちらが用意したって良い。手が空いているなら宗一郎は自分がやらなくては、と意気込んでいた。
 それは昨日の今日でなおさらなのだが正直、宗一郎もお腹が空いていて麻布の外国人向けのスーパーで買った日本サイズではない長いベーコンを既に一枚、つまみ食いしている。

 顔を洗って、身支度を整え、くしゃくしゃの布団を直して。
 先にタオル類や気兼ねなく洗える物を洗濯機に放り込んでスイッチを押した撫子がリビングにやって来ると丁度、宗一郎の方も朝食の支度が終わったようだった。

 「今日は私、丸一日オフにしちゃったんだけど……宗君、今夜は特に予定入ってない?」
 「ええ、昨日の件については国見さんと関本さんが粗方やってくれているので俺たちは報告待ちになります」

 出来上がっていると言う朝食のプレートを撫子がダイニングテーブルの方へ運ぼうと手を伸ばした時。

 「撫子さん」

 いつものでれでれとした声色では無い宗一郎の声に撫子は顔を上げる。

 「いくら博堂の為、その時の最善の策だったとは言えあなたを危険な目に遭わせた事に違いはありません。撫子さんは俺の大切な……奥さんです。だから、その、えっと」

 話が締まらなくなっちゃった、と項垂れてしまった宗一郎に撫子はそっと歩み寄ると彼の胴体に腕を回す。

 「宗君の気持ち、ちゃんと伝わってるよ」

 むぎゅ、と分厚い胸板に顔を押し付けて朝からぐりぐりとスキンシップをする撫子に宗一郎は体を屈めると自分よりも華奢な背中に手を当て、抱き締める。
 撫子はやっぱり我慢できず、少しだけ泣いてしまう。それは悲しい涙ではなく、今までの色々な気持ちが込み上げての涙。宗一郎もふわ、と上がる彼女の体温を感じながら暫く言葉もなく自分よりうんと華奢な背中をさすっていた。

 今までの撫子は宗一郎の愛情を上手く受け入れることが出来なかった。
 そのことにもずっと引け目を感じていた。
 いつか必ずケジメをつけなくてはならないと思って――今までごめんなさい、の気持ちも一緒になって涙になる。

 「宗君大好き」
 「俺も、撫子さんのことが大好きですよ」

 ぽんぽん、と背をやさしく叩いて「朝メシ、食べましょう」と宗一郎はお腹が空いていると言う撫子を促す。

 「それで撫子さん。俺、今夜は特に予定は入っていないんですが」
 「お夕飯いっぱい作るから一緒に食べよ」

 えへへ、と屈託なく笑う撫子に見上げられた宗一郎の胸がときめかない訳がない。撫子はこんなに少女みたいに可愛らしく笑う女性だっただろうか。これは夫としての贔屓目なのだろうか、いや撫子は可愛いし綺麗だし素敵な人で……。

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