規制されてしかるべき私達の
6.レタスサンドとぬるい野菜ジュース②
——金曜日 六時間目の授業開始直前 保健室 星見凛虎
「星見さん、今日はベッド駄目だよ。もういっぱいだから。……仮病でしょ?」
くしゃっと髪を掻きながら、男性の擁護教諭である鈴成先生が溜息混じりに笑う。
入室早々に図星を突かれてムッとしたものの、反論できなかった。
穏やかでありながらも、しっかりと私を見据えた先生の目に、嘘は通用しそうになかったから。
「春なのに、風邪でも流行ってるんですか?」
苦し紛れにそう聞くと、先生はすらっとした細身を屈めて、私の耳へ顔を寄せた。
「病名はね、失恋だよ。春だね」
そう囁くと、閉まったベッドカーテンへ視線を向け、まるで子猫でも見るかのように優しげに目を細めた。
「失恋って寝てたら治るんですか?」
「ん? はは。こらこら」
ぽろりと溢してしまった私の無神経な疑問を、先生は軟らかに笑って窘める。
「治らないけどね。でも、眠るくらいしかできないの」
柔らかな口調で、涼やかな微笑みを絶やさず、アンニュイな雰囲気を纏った鈴成先生。
そんな先生とのやり取りが、私は、少しだけ苦手だった。
先生のことは、決して嫌いではない。
だけど、なんというか、掴みどころがないのだ。
常に一枚上手を取られながら、体よくいなされているような、そんな感じがする。
そして、本心を見透かされながらも、見ない振りをされているような、もどかしい気持ちになることがある。
勘違いだとは思うけれど、その瞬間が、特に苦手だった。
だけど、鈴成先生のことをそんなふうに感じているのは、たぶん、私だけだろう。
先生は、女子生徒からの人気者なのだから。
モテるというよりは、恋愛アドバイザーとして、らしいけれど。
健全な恋愛観と青少年の精神を守るためのカウンセリングの一環。
そう謳いながらも、意外と先生自身も恋愛話が好きらしく、時折、放課後の保健室からはキャッキャッとはしゃぎ合う女子高生と成人男性の声が聞こえてくる。
「で、星見さんどうする? 感染るものじゃないし、椅子にでも座っとく? それか、おとなしく体育の授業を見学しにいく? ……あ、隣の健康相談室で真阿間先生と話す? 今日は、内緒でおやつをくれると思うよ」
「あ……、いえ……」
この高校には、男性と女性ひとりずつ養護教諭がいて、女性の養護教諭が真阿間先生。
通称、ママ先生だ。
普段は保健室の隣の健康相談室に控えていて、教室に居づらい子達のカウンセリングや援助などを主にしているらしい。
生徒に対して本当に愛情深く、凄く良い先生だ。
けれども私は、そんな真阿間先生のことを避けている。
きっかけは、入学初日からクラスメイトを傷付けて、周りからの顰蹙を買い、教室で孤立した直後のことだった。
疎外感に苛まれ、居場所を求めた私が、恐る恐る相談室を訪れた時のこと。
「よく来てくれましたね。安心して大丈夫よ。私は、ここに来た子達を全力で守ります! だから、ここに居る限り、誰にもあなたを傷つけさせません!」
出迎えてくれた先生が真剣な顔でそう宣言してくれた時、私は、怯んでしまった。
私が傷付けたクラスメイトが、カウンセリングを受けている最中だったのだから。
私は、ここに人を送る側の人間だった。
私には先生の言葉を受け取る資格が、この相談室に居る資格が無い。
私は、加害者だったのだから。
そう気付いて、すぐにその場から逃げ去った。
あれ以来、ずっと相談室を避け続けている。
「私には、真阿間先生に相談できる話がないので、ここで座っていさせ」
言い掛けて、すぐに口をつぐむ。
失言癖のある私なんかが居座ったら、きっと失恋した子達の心を悪化させてしまうだろう。
「……体育の見学をしてきます」
思ってもないことを言って、そそくさと保健室を後にする。
私は、プールの裏に向かうことにした。
私は、誰かと居ないほうがいい。誰も居ないところに居たほうがいい。
そのことを、思い出したから。

「星見さん、今日はベッド駄目だよ。もういっぱいだから。……仮病でしょ?」
くしゃっと髪を掻きながら、男性の擁護教諭である鈴成先生が溜息混じりに笑う。
入室早々に図星を突かれてムッとしたものの、反論できなかった。
穏やかでありながらも、しっかりと私を見据えた先生の目に、嘘は通用しそうになかったから。
「春なのに、風邪でも流行ってるんですか?」
苦し紛れにそう聞くと、先生はすらっとした細身を屈めて、私の耳へ顔を寄せた。
「病名はね、失恋だよ。春だね」
そう囁くと、閉まったベッドカーテンへ視線を向け、まるで子猫でも見るかのように優しげに目を細めた。
「失恋って寝てたら治るんですか?」
「ん? はは。こらこら」
ぽろりと溢してしまった私の無神経な疑問を、先生は軟らかに笑って窘める。
「治らないけどね。でも、眠るくらいしかできないの」
柔らかな口調で、涼やかな微笑みを絶やさず、アンニュイな雰囲気を纏った鈴成先生。
そんな先生とのやり取りが、私は、少しだけ苦手だった。
先生のことは、決して嫌いではない。
だけど、なんというか、掴みどころがないのだ。
常に一枚上手を取られながら、体よくいなされているような、そんな感じがする。
そして、本心を見透かされながらも、見ない振りをされているような、もどかしい気持ちになることがある。
勘違いだとは思うけれど、その瞬間が、特に苦手だった。
だけど、鈴成先生のことをそんなふうに感じているのは、たぶん、私だけだろう。
先生は、女子生徒からの人気者なのだから。
モテるというよりは、恋愛アドバイザーとして、らしいけれど。
健全な恋愛観と青少年の精神を守るためのカウンセリングの一環。
そう謳いながらも、意外と先生自身も恋愛話が好きらしく、時折、放課後の保健室からはキャッキャッとはしゃぎ合う女子高生と成人男性の声が聞こえてくる。
「で、星見さんどうする? 感染るものじゃないし、椅子にでも座っとく? それか、おとなしく体育の授業を見学しにいく? ……あ、隣の健康相談室で真阿間先生と話す? 今日は、内緒でおやつをくれると思うよ」
「あ……、いえ……」
この高校には、男性と女性ひとりずつ養護教諭がいて、女性の養護教諭が真阿間先生。
通称、ママ先生だ。
普段は保健室の隣の健康相談室に控えていて、教室に居づらい子達のカウンセリングや援助などを主にしているらしい。
生徒に対して本当に愛情深く、凄く良い先生だ。
けれども私は、そんな真阿間先生のことを避けている。
きっかけは、入学初日からクラスメイトを傷付けて、周りからの顰蹙を買い、教室で孤立した直後のことだった。
疎外感に苛まれ、居場所を求めた私が、恐る恐る相談室を訪れた時のこと。
「よく来てくれましたね。安心して大丈夫よ。私は、ここに来た子達を全力で守ります! だから、ここに居る限り、誰にもあなたを傷つけさせません!」
出迎えてくれた先生が真剣な顔でそう宣言してくれた時、私は、怯んでしまった。
私が傷付けたクラスメイトが、カウンセリングを受けている最中だったのだから。
私は、ここに人を送る側の人間だった。
私には先生の言葉を受け取る資格が、この相談室に居る資格が無い。
私は、加害者だったのだから。
そう気付いて、すぐにその場から逃げ去った。
あれ以来、ずっと相談室を避け続けている。
「私には、真阿間先生に相談できる話がないので、ここで座っていさせ」
言い掛けて、すぐに口をつぐむ。
失言癖のある私なんかが居座ったら、きっと失恋した子達の心を悪化させてしまうだろう。
「……体育の見学をしてきます」
思ってもないことを言って、そそくさと保健室を後にする。
私は、プールの裏に向かうことにした。
私は、誰かと居ないほうがいい。誰も居ないところに居たほうがいい。
そのことを、思い出したから。



