規制されてしかるべき私達の
和佳(わか)くん……!」

 隣の席の、和佳(はる)(まさ)くん。
 (そば)()ると、彼は痛みに顔を(ゆが)めながら、(ふる)える声を出した。

星見(ほしみ)さん、無事(ぶじ)? 俺は、無事じゃないけど」
「和佳くん……、なんで、(たす)けに入って来たの?」

 なんで……、と私の言葉を反復(はんぷく)するように(つぶや)いてから、彼は言葉を(つづ)けた。
 ほら、昼休み、体育(たいいく)教官(きょうかん)(しつ)で、星見さんも聞いてたろ?

「俺、宗道(むねみち)先生からプールの外周(がいしゅう)十周走るように言われててさ。で、来たらヤンキーが」
(ちが)う、そうじゃない!」

 私の口が、彼の言葉を(さえぎ)った。
 目の前では、暴力(ぼうりょく)とは無縁(むえん)そうな温和(おんわ)な男の子が、生々(なまなま)しい怪我(けが)()っている。
 それは目を(おお)いたくなるほど(いた)ましく、(ひど)(むね)()()けられた。それなのに

「なんで、弱いのに、入って来たの?」

 それなのに、また私の口は、(おも)いの(いた)らぬまま言葉を()(はじ)めた。

「やられっぱなしになるほど(よわ)いなら、(たす)けになんて来ないほうがいい!」

 最低(さいてい)だ。
 この口は、何てことを言うんだろう。
 私を助けるために、彼は危険(きけん)()(とう)じて、(きず)ついているのに。
 それを、彼の自己(じこ)責任(せきにん)だとしようとしているのだろうか。
 だけど、(たし)かに、無謀(むぼう)善行(ぜんこう)によって(たお)れている彼に、お(れい)は言うべきではないのかもしれない。
 感謝(かんしゃ)すれば、彼は()かれと思って、また力の(およ)ばない人助けをしてしまうかもしれないのだから。
 そうしたら、次は怪我だけでは()まない可能性(かのうせい)だってある。
 だから、きっとお礼は言うべきではない。
 だけど、だったら、なんて言えば良いのだろう。
 優しくて弱い、彼のために。
 彼はただ(だま)って、(しず)かに私の言葉の(つづ)きを()っていた。
 (あわ)てたように、私の口が、もっともらしい言葉を(なら)べ立てていく。

善意(ぜんい)でも、無謀(むぼう)なことはするべきじゃない。これからは、力にそぐわない()相応(そうおう)行動(こうどう)(ひか)えないと、最悪(さいあく)の、場合(ばあい)は……」

 本当に、何様(なにさま)なんだ。私は。
 ()(いき)(とも)に、彼の(となり)にへたり込む。
 必死(ひっし)になって助けた女の子から、こんな(ひど)いことを言われて、感謝(かんしゃ)すらもされない。
 そんな彼があまりに不憫(ふびん)で、流石(さすが)の私の口も言葉を見失(みうしな)い、(のど)()まらせた。
 罪悪(ざいあく)(かん)(うな)()れる私の膝元(ひざもと)で、彼は、何かを()(ころ)すように、眉間(みけん)(しわ)()せていた。
 そして、私が完全(かんぜん)閉口(へいこう)したのを見ると、思い切ったように彼は口を(ひら)く。

「まず言わせてもらうけど」

 (おそ)い来る非難(ひなん)の言葉に、身構(みがま)える。

「俺は女の子と話す時、どうしても緊張(きんちょう)してしまうんだ」

 へ……? 罵声(ばせい)(そな)えていた私の口から(ほう)けた声が()れた。
だけど、()()ぐに私を見る彼の目は、真剣(しんけん)そのものだった。

(とく)に気が強そうだったり、クールそうだったりすると、(ひど)いくらい緊張する。だから、そんな雰囲気(ふんいき)の星見さんと話すと、俺は挙動(きょどう)(へん)になる。……すでに変なんだろうけど」

 どうしようもないから、大目(おおめ)に見てほしい。
 そう言うと、彼は(そら)(あお)()一息(ひといき)()き、(ふる)える声のまま話し続けた。

「星見さんに言われた(とお)り、荒事(あらごと)全然(ぜんぜん)ダメなんだ。(こわ)くて動けなくなったよ。(むかし)から、弱いんだ、俺。()ずかしいけど」

 挙動が変になったのは私の方だった。
 自分は弱い。
 そう(つた)えてきた彼の(ひとみ)が、むしろ、とても(したた)かに見えたからだ。
 弱さを見せたら、標的(ひょうてき)にされる。
 ずっと、そう信じてきた。
 だから私は今日まで懸命(けんめい)に、(つよ)そうな自分を(つくろ)って生きてきたつもりだった。
 だけど、それも、やはりハリボテでしかなかったのだ。
 いざとなると私は、力で(おさ)()まれ、言い(かえ)す言葉も(うしな)い、戦意(せんい)すら()(ばな)してしまう。
 それほどまでに弱い人間なのだと、今日、(みずか)証明(しょうめい)してしまったのだから。
 だけど、彼はそうではない。
 弱い人間であると自覚(じかく)しながら、正面(しょうめん)から暴力(ぼうりょく)の中へと()び込み、(たす)けに入ってきた。
 私の知る、単純(たんじゅん)な弱さとは(ちが)う。彼の言う弱さには、何か、知らない力を感じた。
 (しず)かな衝撃(しょうげき)が心にひろがっていく。

「星見さん、突然(とつぜん)なんだけど……」

 彼の大きな手のひらから、小さなチョコが一つ、ころんと私の手のひらに(ころ)がった。

「……何、これ?」
今朝(けさ)のホームルームの前に、星見さんがいらないって(ことわ)ったチョコ」

 ッハ、いらない。嘲笑(ちょうしょう)するかのような嫌味(いやみ)っぽい自分の声音(こわね)が、頭の中に(ひび)いた。
 せっかくの親切(しんせつ)を、失礼(しつれい)な言い方で断ってしまった今朝のことを思い出す。
 だけど、どうして今、断ったチョコを、私に?
 いまいち意図(いと)(つか)めない私に、彼は言葉を続けてくれた。

「あれから休み時間の(たび)に、(もう)(わけ)なさそうに俺達のこと見てたよね」

 思わず、ドキリと心臓(しんぞう)()ねる。
 それは、事実(じじつ)だった。私はずっと、弁明(べんめい)機会(きかい)(うかが)っていたのだ。
 あの言い方は()本意(ほんい)だった。悪気(わるぎ)は無かった。だから、傷つかないでほしい。
 (ねが)わくば、(きら)わないでほしい。
 そう伝えられるチャンスを待ち、上手(じょうず)な会話を脳内(のうない)()(かえ)しシミュレーションしながら、こそこそと彼らを(ぬす)み見ていたのだ。
 結局(けっきょく)勇気(ゆうき)が出ず、何も言えないまま今に(いた)る。
 だけどまさか、そんな(なさ)けない心情(しんじょう)を読み取られていただなんて。
 どぎまぎとする私に、彼は、やっぱりね、と微笑(ほほえ)んだ。

「本当は、チョコ食べたかったんだよね。俺にはわかるよ」







「そんないやしい理由じゃないよ‼」

 顔から火を()きそうだった。
 そんな勘違(かんちが)いをされていたなんて。
 そんな()いしん(ぼう)みたいに見られていただなんて。
 自分では()まし顔でやり()ごしているつもりだっただけに、余計(よけい)()ずかしい。
 ()(みだ)した私の(のど)から、突発(とっぱつ)(てき)に声が()び出してくる。

「私が見てたのは、チョコ(ことわ)る時に(ひど)い言い方で、しょんぼりさせちゃったから、悪気は無かったって、伝えられたらって」

 しどろもどろになりながら(あわ)てる私に、彼は(やさ)しく目を(ほそ)めた。
 ごめんごめん、冗談(じょうだん)だよ。

「そうかなって思ったんだ。だから、話す機会(きかい)を作ってあげたかったんだけど、俺も上手(うま)く出来なくてさ。きっかけになればと思って、そのチョコ、食べるの我慢(がまん)してたんだ」

 ()まれて(はじ)めて食欲(しょくよく)制御(せいぎょ)できたよ、俺。
 そう言って、冗談っぽく(やわ)らかに(わら)う。
 そんな彼につられて、つい、私の口角(こうかく)()がっていた。
 すると不意(ふい)に、動揺(どうよう)(あい)まって(いきお)いのついた私の心が、何かを(しぼ)り出した。
 それは、(のど)()まった凶器(きょうき)のような言葉達の隙間(すきま)()って(なが)れて、声となった。

「私、人と上手(うま)く話……、(いや)……」

 だけど、直前(ちょくぜん)で喉が()()めてしまう。
 自分の弱さを他人(ひと)()()けるのは、(ひど)(こわ)かった。
 (たと)えるなら、()えた(けもの)鼻先(はなさき)に、()(したた)傷口(きずぐち)(さら)すような恐怖(きょうふ)(しん)
 (おお)袈裟(げさ)比喩(ひゆ)だとは思うけれど、だけど、とても近いと感じる。
 それでも、(しず)かに私の言葉を待ってくれている彼を見ていると、ぽろぽろと、少しずつ声は(こぼ)れてきた。

「私は、嫌なんだ。誰かが傷つくの。怪我(けが)でも、心でも。でも、私が傷つけるほうが、ずっと多くて」

 頭が文章(ぶんしょう)構成(こうせい)するよりも(さき)に、声になってしまう。

「傷つけて、でも、なにもできないから、むしろ悪化(あっか)させて、……だから、もう、全部、嫌なことにしかできなくて」

 意味(いみ)(つう)じないことを言っていると、わかっている。
 それなのに、彼が(うなず)いてくれる(たび)に、言葉が引き出されてしまう。
 息継(いきつ)ぎも(わす)れて、私は話し続けてしまう。

「でも、一番嫌なのは、優しい人が(ひど)い目に()うこと。それなら私だけ怪我してた(ほう)が、ずっと()い。だから、和佳くんみたいな人が痛い目に遭うのは、本当に(つら)いから」

 ずっと胸に()まっていた言葉達が、水のように(なが)れていく。
 それに()されて、奥底(おくそこ)(しず)んでいた本音(ほんね)(ころ)がりだした。

「だから、和佳くん。……もう怪我してまで誰かを助けようとしないで!」

 素直(すなお)(おも)いを、私の(にく)まれ口が(さけ)んだ。
 息が切れて、(しび)れたように指先(ゆびさき)(ふる)える。
 (から)っぽになった胸の奥に、新しい空気が流れてくる。
 少し甘くて、ほどよく湿(しめ)った春のにおいが、胸に()ちていく。

心配(しんぱい)してくれてありがとう、星見さん。俺、ちゃんと(こころ)()けるよ」

 和佳くんがそう(うなず)くと、どうしてか(きゅう)に、(なみだ)()()げてきた。
 私の言葉を()()れてくれた彼に(たい)する、(あたた)かな想い。
 それと共に、まるで(せい)反対(はんたい)感情(かんじょう)まで()き上がってくる。
 あの不良(ふりょう)達に何もできなかった(くや)しさと殺意(さつい)が、なぜか今更(いまさら)になって()()せてくる。
 清濁(せいだく)()わさった激流(げきりゅう)が胸で(あば)れて、込み上げて、目が(うる)んでしまう。

「えっ! 星見さん、どこか痛むの? ()っぐ!」

 彼の口に、さっきもらったチョコを少し乱暴(らんぼう)()()れた。
 涙ぐんでしまったことに、言及(げんきゅう)されたくなかったから。

「これ、話を聞いてくれたお(れい)()鉄砲(てっぽう)に助けてくれた事へのお礼じゃないよ? それについては、心配だから何も言えない。あと、泣いてないから」

 すっきりとした心のおかげだろうか。
 いつもと(ちが)って、すんなりと自然(しぜん)に言葉が出てくる。
 声も、高圧(こうあつ)(てき)な感じじゃない気がする。

「和佳くんこそ怪我は大丈夫(だいじょうぶ)? 立てそう?」
「……あー、うん」

 そう(うなず)いたものの、立ち上がろうと力を込めた途端(とたん)に、彼の(ひざ)はガクガクと(ふる)える。

「膝がフニャフニャするな……。俺、まだ星見さんに緊張(きんちょう)してるのかな」
「え? そっち?」

 怪我とかじゃなくて、私?
 そう(おどろ)くと、彼は力()く笑った。

「恥ずかしいけど、昔からの性分(しょうぶん)で……。俺、緊張が手足にくるんだよね」

 緊張で手足が震える。それは理解できる。
 だけど、私には納得(なっとく)できない部分(ぶぶん)があった。

「……今朝、私がクレープ食べてる時は平気(へいき)で話しかけてきたのに?」

 とても驚かされた今朝のことを、実は少し(うら)めしく思っている。
 クレープを頬張(ほおば)った(ふく)れ顔を見られながら、何度(なんど)も話しかけられたことを。
 じとりと(にら)むと、彼は(あわ)てたように顔の前で手のひらを()った。
 いやいやいや! あれは特別だよ! だって

(すご)(しあわ)せそうに食べてたのに、(きゅう)に思い()めた様子で(うな)()れたから、心配になった」
「えっ⁉」

 (ふたた)びドキリと()ねる心臓(しんぞう)(おさ)える()もなく、彼は(いきお)いよく話し続ける。

「休み時間に(なか)(なお)りしようと俺たちのほう見てた時もさ! 授業(じゅぎょう)開始(かいし)のチャイムが()(たび)に、やたら深刻(しんこく)そうに気落(きお)ちしてたじゃん⁉」
「えっ、(うそ)。ちょ、ちょっと、まっ」

 なんで私の()まし顔の(おく)(つつ)()けなの⁉
 その(あせ)りを()ます()もくれずに、彼は私の羞恥(しゅうち)の火に(まき)をくべ続ける。

「昼休みだって、(さみ)しそうな背中(せなか)足早(あしばや)に教室を出てくから心配したよ! 体育教官室に()るの見て、安心したけどさ。あとは」
「待って! もういい! もういいから!」

 (おさ)()んでいたつもりの陰気(いんき)な感情が、(じつ)駄々(だだ)()れだったなんて、()えられない。
 学校では、ずっと()まし顔でやり()ごしているつもりだったのに。
 いや、私の澄まし顔は、他人(たにん)から見れば、しかめっ(つら)のはずだ。
 ずっとそう言われてきたし、それで(きら)われてきた。
 そして、自分から見ても間違いなく、嫌味(いやみ)なしかめっ面だった。
 怪訝(けげん)そうに(まゆ)(ひそ)め、口を()(むす)んだまま、ほどけなくなった自分の顔。
 それを、(いや)というほど手洗(てあら)()(かがみ)で見てきたのだから、よくわかっている。
 だからこそ、(あきら)めつつも、どこか、安心していたのに。
 羞恥(しゅうち)(うめ)きながらも、彼に(たず)ねる。

「私って、(まわ)りから見て、そんなにわかりやすかったの……?」
「いや、どうかな。星見さんは見えにくいというか……わかりにくいほうの人だと思う」

 じゃあ、どうして?
 そう聞くよりも早く、彼は、私の足元を(ゆび)()した。
 だけど、その指の先には何もない。
 何の変哲(へんてつ)もない、私のローファーだけ。

「俺は、ちょっと理由(りゆう)があって、変に気付きやすいんだ。その、爪先(つまさき)とか?」
「え……」
「今、足の指先でさ。(くつ)の中を()むみたいに、ぎゅっぎゅっ、てしてるでしょ?」
「あ……」

 (たし)かに、()ずかしさを(こら)えようとして、私の爪先は言われた通りの動作(どうさ)をしていた。
 だけど傍目(はため)には、本当に(ごく)(わず)かに、ピク……とローファーの先端(せんたん)が動く程度(ていど)だった。

「そういうちょっとした仕草(しぐさ)でも、俺、なんとなく(さっ)せる時があるんだよね」

 なるほど。きっと彼が特別(とくべつ)()ざといのだろう。
そうじゃないと、私はもう日常(にちじょう)()えられない。

「本当は、緊張も(あせ)りも手に出やすいんだけどさ。顔に()れたり、身体を(まも)るように前で()んだり、指を()んだり。だから星見さんは、わかりにくいほうの人だと思う」

 わかりにくいほうの人。その単語は、やけにしっくりと胸に落ちた。
 それはきっと、母の教育のたまものだ。
 小学生の頃に、口元に()れる(くせ)も、指いじりも矯正(きょうせい)されたから。
 おかげで(おさな)くして、しっかりした人の(かたち)、だけは(たも)てるようになったと自負(じふ)している。
 それと同時(どうじ)に、よくわからない子として(まわ)りから(あつか)われ(はじ)めたことも、今、()(かく)した。

「……私のことはもういいよ。和佳くんの怪我は? 大丈夫?」
「うん。大丈夫。これくらいの怪我なら、そんなに心配するほどのものじゃないよ」

 そう言うものの、その落ち着いた話し方とは違い、彼の手足は今も(ひど)(ふる)えていた。

「でも、和佳くん、手の震え(すご)いよ……」
「うん……。なかなか(おさ)まらないな」

 震えているだけじゃなく、その手は可哀想(かわいそう)なくらいに強張(こわば)って見えた。

「私みたいな女子と話すと、酷く緊張(きんちょう)するって言ったよね? それで(ふる)えるって」

 思春期(ししゅんき)の男子が女子に緊張する理由と言ったら、きっと主な原因(げんいん)は一つだろう。
 それは、異性(いせい)として、恋愛(れんあい)対象(たいしょう)として意識(いしき)してしまうから。
 だから私は、(まよ)いながらも、彼の緊張をほぐしたい一心(いっしん)で、(おも)い口を(ひら)いた。

「あの、私、助けてもらったからって、好きになったりとかはしないから、緊張しなくて大丈夫だと思うよ」

 ()意識(いしき)過剰(かじょう)自惚(うぬぼ)れに()ちた言葉に、強い抵抗(ていこう)を感じながらも、なんとか声に出す。
 すると、ハッとした様子で彼が顔を()げた。えっ? ああ、気(つか)わせて、ごめん!

「でも、この緊張はそういう問題じゃないんだ。俺、生涯(しょうがい)恋愛(れんあい)する気ないから」

 生涯恋愛する気がない?
 そんな男子高校生らしくない言葉に()()()もなく、彼は言葉を続けてしまった。
 この震えはさ、女の子に対する緊張だけじゃなくて、さっきの荒事(あらごと)にまだビビってるってのもあるんだ。

「でも、怪我は本当に(たい)した事ないからさ。星見さん、もう(さき)に帰って大丈夫だよ」
「え」

 そう言われても、彼の(ほほ)は間違いなく、痛々(いたいた)しく()()()れている。
 血の(にじ)()り傷も、あまり大丈夫とは思えなかった。
 一人で帰るわけにはいかない。

保健室(ほけんしつ)行くよ、和佳くん。鈴成(すずなり)先生に()てもらおう」

 そう言った瞬間(しゅんかん)、彼の顔色(かおいろ)急変(きゅうへん)した。

「えっ! 鈴成先生⁉ いや、ごめん! あの人は駄目(だめ)なんだ!」

 保健室へ(うなが)した途端(とたん)、急に彼は強い拒絶(きょぜつ)(しめ)し、(あせ)りだした。

「どうして? 手当(てあ)てはした方が絶対(ぜったい)いいよ。(まん)(いち)があったらいけないし」
「いやいや、絶対に駄目! 俺も、もう帰るから大丈夫だよ! ほら見て! なんかもう(いきお)いで立てちゃったからさ!」

 どうして鈴成先生を(こば)むのか聞く間も無く、彼は突如(とつじょ)立ち上がって歩きだした。

「そんなっ、帰せるわけないでしょ。なんとかさせて。私の気が()まないから!」

 彼を引き止めようと、(あわ)ててしがみつく。
 そんな私の身体が、軽々(かるがる)(ちゅう)()いた。

「んぉおおお⁉」
「うわっ! 星見さん、(あぶ)ないよ! 手を(いた)めてしまうよ!」

 とても変な(さけ)びが出てしまった。
 力で彼を引き止めるのは無理だ。体格(たいかく)()がありすぎる。
 そう(さと)った刹那(せつな)、私の口が咄嗟(とっさ)発案(はつあん)をした。

「わかった! 私の家で手当てする! (すご)く近いから!」
「お、おお、女の子の家に()がれるわけないだろう!」

 彼は、やっと足を()めてくれた。

「それに、簡単(かんたん)に男を家に()げたら危ないよ⁉」

 慌てながらも、彼は完全(かんぜん)に立ち()まった。
 (たた)()けるなら今だ。

「和佳くんだから特別。宗道先生が、和佳くんは悪い事しないって言ってたから!」

 あいつが悪い事するわけないだろう! 昼休み、宗道先生はそう断言(だんげん)していた。

「だから、私はそれを信じる。和佳くんは、宗道先生と私の信頼(しんらい)(うら)()ってまで、悪いことをしようとする人じゃないんでしょう?」

 いや、そうだけど、でも……。そう言って、まごまごとする彼の横を走り()ける。
 そして、彼が助けに来た時に(ほう)()げたリュックを、人質(ひとじち)のように(かか)え込んだ。

「私の部屋(へや)には()れない。リビングだけ。……それでも(いや)なら、今すぐ保健室から鈴成先生を()んで来る」

 そうして、ようやく彼は観念(かんねん)するように(うなず)いた。

「……わかったよ。でも、リュックは自分で持つから」
「駄目。私のせいで怪我してる人に持たせるのは、嫌」

 そう言って彼のリュックを背負(せお)ったものの、ズッシリとやたら(おも)かった。

「……男の子のリュックって何が入ってるの?」
「……ごめん。俺、二リットルの水筒(すいとう)三本()れてる」

 流石(さすが)だね、という言葉が私の口をつく。
 何が流石なのかは、言った自分でもよくわからないけれど。

「あ……、私の(かばん)も取りに、教室()らせて」

 幸いなことに、教室にも廊下にも人気(ひとけ)が無かった。
 和佳くんのリュックを背負いながら、自分のスクールバッグも肩に()ける。
 通学(つうがく)(かばん)(ふた)つも持って歩くのは、思っていた以上にしんどく、かなり(いき)()がった。
 そんな私の後ろを、()(たま)れなさそうに和佳くんが付いてくる。
 善意(ぜんい)のつもりだったけれど、(はた)から見れば、あまり良い印象(いんしょう)絵面(えづら)ではなかったかもしれない。
 二人(ふたり)(ぶん)(かばん)(かか)えた女の子と、手ぶらの男の子が(なら)んで歩いているのは。

「こ、こうしたら、少しは軽くなるかな?」

 そう言って彼は、リュックの上側(うえがわ)に付いている取手(とって)を、後ろから()()げてくれた。
 (たし)かに、とても(らく)になった。
 私が首根(くびね)っこを(つか)まれながら歩かされているみたいで、余計(よけい)に絵面は(わる)くなったかもしれないけれど。
 だけど、もはや気にしている余裕(よゆう)もなかったので、そのまま無心(むしん)で、私のマンションまで歩き続けた。


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