世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
家に帰ると、私を出迎えるのは、やっぱり音のない空気だった。

コートを脱ぎ、手袋を外し、
無言のままグランドピアノに近づく。

KANERO。

うちのピアノは、あの老舗ブランドのものだ。

静かに鍵盤の蓋を開ける。
光沢のある黒が、部屋の灯りをぼんやりと映し出していた。

椅子に座ると、自然と指が動く。

奏でたのは、クリスマスの定番曲。
淡く、でもどこか切ないメロディ。

一寸の狂いもなく、澄んだ音が響く。

……やっぱり違う。

金城さんが調律したあとのピアノは、
いつも、命を吹き込まれたみたいによみがえる。

音に、温度がある気がする。

そう――今日、あの催事場で出会った彼とは違う。
うちに来るのは、もっと年配の、品のいいおじさん。

名前は……金城 創(かねしろはじめ)さん。KANEROの社長であり、調律師でもある。

彼の父親だろうか、それとも親族?

わからないけど――
なんとなく、似てる気がした。

音に宿る、どこか深い芯のようなもの。
それは確かに、今日出会った“金城 湊”の手からも感じた気がする。

私はメロディを弾き続けた。
誰に聴かせるでもなく、ただ、自分の中の何かを確かめるように。
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