世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
メロディーに身をゆだねながら、
私はひととき、記憶の中を漂っていた。
でもその余韻は、すぐに破られた。
「……珍しく自主的に練習してると思ったら、
クリスマスに浸ってるだけ?」
ピアノの奥、扉の向こうから、母の声。
顔を上げると、廊下に立つ母が腕を組んでいた。
「ほどほどにしなさいよ。コンクール、近いんだから」
わかってる、と言いかけたけれど、口をつぐむ。
「来年のお正月は、お父さんとアメリカに行ってくるから。
麻衣のところ。向こうの家族とも顔合わせがあるのよ」
ふいに、胸の奥が冷えた。
麻衣――私の姉。
音楽の才能はなかった。
子供の頃から、母に“見限られた”存在。
けれど大学時代に留学して、現地の音楽療法士と出会って結婚。
今は、カリフォルニアで二人の子どもと、穏やかな家庭を築いている。
母は表向きこそ「麻衣は麻衣で幸せそうね」と言うけれど、
その目はいつだって、私しか見ていなかった。
「あなたは留守番ね。三が日には何人か来るかもしれないけど、
それなりに応対しておいて」
「……うん」
「練習もちゃんとするのよ。
次のコンクールは“アルテミス国際ピアノコンクール”。
ヨーロッパ行きが決まる、大事な大会なんだから」
そう――その言葉は、プレッシャーというより、
“命令”だった。
母の足音が遠ざかると、
静まり返った部屋に、また音が戻ってきた。
けれど、さっきのあたたかい旋律はもう戻らない。
鍵盤の上の指は、いつの間にか震えていた。
私はひととき、記憶の中を漂っていた。
でもその余韻は、すぐに破られた。
「……珍しく自主的に練習してると思ったら、
クリスマスに浸ってるだけ?」
ピアノの奥、扉の向こうから、母の声。
顔を上げると、廊下に立つ母が腕を組んでいた。
「ほどほどにしなさいよ。コンクール、近いんだから」
わかってる、と言いかけたけれど、口をつぐむ。
「来年のお正月は、お父さんとアメリカに行ってくるから。
麻衣のところ。向こうの家族とも顔合わせがあるのよ」
ふいに、胸の奥が冷えた。
麻衣――私の姉。
音楽の才能はなかった。
子供の頃から、母に“見限られた”存在。
けれど大学時代に留学して、現地の音楽療法士と出会って結婚。
今は、カリフォルニアで二人の子どもと、穏やかな家庭を築いている。
母は表向きこそ「麻衣は麻衣で幸せそうね」と言うけれど、
その目はいつだって、私しか見ていなかった。
「あなたは留守番ね。三が日には何人か来るかもしれないけど、
それなりに応対しておいて」
「……うん」
「練習もちゃんとするのよ。
次のコンクールは“アルテミス国際ピアノコンクール”。
ヨーロッパ行きが決まる、大事な大会なんだから」
そう――その言葉は、プレッシャーというより、
“命令”だった。
母の足音が遠ざかると、
静まり返った部屋に、また音が戻ってきた。
けれど、さっきのあたたかい旋律はもう戻らない。
鍵盤の上の指は、いつの間にか震えていた。