世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
デリまるで頼んだチーズハンバーグと野菜たっぷりスープを平らげて、私は湊さんと並んで一息ついた。

「おいしかった〜。やっぱり文明の力ってすごい」

「一人暮らししてる人みんな使ってるよ、これ」

「……なんかごめんね、ぬいぐるみとアプリの衝撃が今日のハイライトみたいになってる」

湊さんは笑いながら食器を片付けてくれていて、私は残りの段ボールと格闘を再開した。

次はキッチン用品の箱。スパイス類とキッチンタイマーと──なぜか紅茶の缶だけやたら多い。

「これ、いつの間にこんなに……」

ひとりで苦笑していると、リビングに置いていたスマホが震えた。

ディスプレイには「朝比奈紀江」の名前。

胸の奥がじんとする。

「……ごめん、ちょっと電話出るね」

「うん」

湊さんはそっと頷いて、空き箱をつぶす作業に戻った。

私は窓際に移動して、通話ボタンを押す。

「もしもし、紀江おばあちゃん?」

「璃子? ……もうごはん食べた?」

「あ、うん。デリまるってアプリで頼んで。すごく便利なんだよ」

「ふふ、そう。ならよかった。……急にごめんね、今どんな様子か、ちょっとだけ聞きたくなって」

優しい声。

私のことを“聞きたくなって”って、そうやって言ってくれるの、おばあちゃんくらいだ。

「うん、少しずつだけど片付いてきたよ。段ボールまだ山盛りだけどね」

「そうでしょうとも。……璃子、ほんとに、よくがんばったわね」

それだけの言葉で、胸がじんと熱くなる。

「……私、もう逃げないって決めたの。湊さんと一緒に、ちゃんと前を向いて生きてくって」

「そう。……それが聞きたかったのよ」

紀江の声が少し震えた。

「あなたが幸せなら、私はそれで十分。無理に強くならなくていいのよ。弱いところも、泣きたいときも、全部見せられる相手がそばにいるなら、それが一番だから」

「……うん。湊さんね、すごく大事にしてくれるの。私のことも、私のピアノも」

「それが璃子の選んだ人なのね。いいわ、本当に。……私、嬉しい」

電話越しに、紀江が笑った。

その笑顔を思い浮かべながら、私はそっとスマホを胸に抱いた。

「ありがとう、おばあちゃん」

「こちらこそ。……また近いうちに、お祝いに行かせてね」

「うん! 待ってる」

通話を終えて振り返ると、湊さんがこっちを見ていた。
「おばあちゃん?」

私は頷いて、にこっと笑った。

「うん、早く新しい部屋を見たいって。お祝いに来てくれるって」

「じゃあ片付け、加速しないとだな」

「了解、隊長!」

私は段ボールを抱えて、再び“暮らし”を作る作業に戻っていった。
電話越しのぬくもりを胸に、今の私にはもう、迷いはなかった。
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