世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
取材は、日本中央テレビの報道番組『News Flash 24』の収録スタジオで行われた。
ゴールデンタイムに放映される週末特集の一環で、「世界で戦う若き才能たち」と題したシリーズの一本だった。

璃子は、白を基調としたシンプルな衣装でカメラ前に座っていた。
ライトに照らされ、笑顔を作るだけでも汗ばむような緊張感。
だが、ここを越えなければ何も始まらない。

番組冒頭、アナウンサーの穏やかなナレーションとともに、フランス・パリで行われた「アルテミス国際ピアノコンクール」で璃子が一位を獲得する様子がVTRで流れる。
華やかな拍手、カメラに向かって微笑む姿、ステージに立つドレス姿――
4ヶ月前の自分がまるで別人のように感じられた。

「その後、突然の活動休止。ファンの間では様々な憶測も飛び交いました」

――というナレーションが流れた瞬間、璃子の肩が一度わずかに硬直する。

「今日はその空白の時間、そして復帰の裏側に迫っていきます」

順調に見えたやり取り。
だが、中盤から空気が少しずつ変わり始めた。

「フランスから戻られて、しばらく表に出られなかった理由について、“身体的な不調”とだけ事務所は発表されていましたが……」

璃子は丁寧に笑みを浮かべながらも、「練習による疲労が一時的に手首に出て」と用意された答えを述べる。
だが、記者の目は「それだけではないのでは?」と言わんばかりだった。

「SNSでは、一時ご婚約の報道や、その後の破談とされる情報も流れていましたが……ご自身の口から、何かお話できることはありますか?」

鋭く、しかし礼儀正しく投げかけられる言葉。
璃子はほんの一瞬だけ視線を泳がせ、しかしすぐに――

「……私はピアニストです。私の話題が音楽以外に広がってしまったことは、少し戸惑っています」

柔らかいが明確な牽制。

それを受け、アナウンサーがうまく話題を切り替えようとするも――
その場に同席していた文化系のコメンテーターが、思いついたように手を叩いた。

「せっかく、ここにピアノがありますし! 一節だけでも、ぜひ……!」

スタジオが一瞬、ざわついた。
璃子の表情が硬直する。
アナウンサーが慌てて口を開いた。

「いえ、それは事前にご相談いただいていな……」

その瞬間、後方でじっと控えていた黒いスーツの男が一歩前に出た。

矢代正輝。

璃子のマネージャー――そして、初の現場対応だった。

「申し訳ありませんが、事前に演奏のご依頼はいただいておりません。本日の収録内容にも含まれておりませんので、本人のコンディションを考慮し、お断りいたします」

柔らかい口調。
だが、低く通る声には圧があった。
テレビの現場で言葉を遮られることに慣れていないコメンテーターが、思わず「そうですか……」と目を逸らす。

アナウンサーもすぐにフォローする。

「失礼しました。璃子さん、最後に視聴者に一言だけお願いできますか」

璃子は小さく息を整え、顔を上げた。

「……少し遠回りをしてしまいましたが、また“音楽”で皆さんにお会いできるよう、少しずつ準備しています。待っていてくださる方がいる限り、私はピアノに向かいます」

収録終了の合図が出されると、璃子はそっと肩を落とした。
そのすぐ後ろに、矢代が静かに立っていた。

「……よく耐えましたね」

そのひと言だけで、璃子の胸がふっと軽くなる。

彼は怖そうに見えるけど、必要なときには絶対に前に出てくれる人だ――
そう、璃子は確信した。
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