世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく

エピローグ

春の光がゆるやかに差し込む午後——
会場は、KANERO本社に併設された特設グランドホール「響 -HIBIKI-」。

普段は世界的ピアニストのリサイタルや国際的な音楽祭に使用されるこの場所が、今日は特別な意味をもって開かれていた。

KANEROが主催するチャリティーコンサート。
入場料2000円。

その全額が、音楽を学ぶ環境に恵まれない子どもたちの支援に充てられる。

豪華な空間に、ドレスコードはない。
親子連れ、学生、年配の夫婦、ピアノを習い始めたばかりの子どもたち——

誰もが気軽に音楽に触れられるようにと、KANEROはこの空間を惜しみなく開放した。

ステージには、艶やかな黒のKANERO特製フルコンサートグランドピアノ。
その前に、璃子がそっと腰を下ろした。

KANEROの専属ピアニストとしての初舞台。
緊張と静かな決意を胸に、舞台袖では湊が彼女の手をそっと握りしめていた。

「深呼吸して、大丈夫。璃子らしい音を、届けて」

その声は、優しさの中に揺るぎない信頼がにじんでいた。

観客席には、璃子の姿を見守る人たちがいた。

母・由紀子は、硬さのとれた表情で目元を潤ませ、
父・聡一はまっすぐ彼女の方を見つめ、

祖母・紀江は小さく頷きながら手を握りしめている。
そして、岸本結衣と安藤千紗のふたりは、最前列で満面の笑みを浮かべていた。

さらに、今日は鳳鳴大学附属幼稚園の園児たちも特別に招待されていた。

彼らの席のそばには、KANEROスタッフの網浜優也が付き添い、演奏が始まるとともに子どもたちと一緒に手拍子を送ったり、静かにリズムに乗ったりと場を和ませていく。

そして——
璃子が最初の鍵盤に指を置くと、会場の空気がふわりと変わった。

奏でられたのは、『小さな世界(It’s a Small World)』のやさしい変奏。

シンプルなメロディが、まるで春の陽射しのように会場を包み込んでいく。

園児たちの口元が自然と動き、彼らは小さく、でも嬉しそうに口ずさんだ。

そこから続くのは、「ジブリ映画『風のとおり道』」の透明感あるアレンジ、

そしてビートルズの『Let it Be』のジャズ風即興。
璃子の指先は、まるで歌うように、自由に鍵盤を舞っていた。

技巧を誇示するのではなく、
そこに集うすべての人の「心地よさ」と「親しみ」を大切にする演奏。

その音楽は、クラシックホールという厳かな場を、
まるで“音のあるリビングルーム”のように優しくほぐしていった。
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