世界一孤独なピアニストは、恋の調律師に溶けてゆく
翌日。
私は身支度を整えて、百貨店へ向かった。

カフェの一角に、先に着いていた結花が手を振っている。
岸本結花。高校の同級生で、今も変わらず気の合う友達。
服が大好きな彼女は、私の秘めた趣味——ファッションへの小さな憧れを、唯一知ってくれている。

「璃子ー! お誕生日おめでとう!」

明るくそう言って、笑顔でハグしてくる。
人前で少し照れるけど、あたたかい。

「ありがとう」

今日の目的は、彼女が選んでくれる洋服。
「似合うと思ってたんだ〜」と言いながら、あれこれ試着させられ、鏡の前でくるくる回されて。
いつしか私は笑っていた。
こんなに自然に、笑ったのは久しぶりだった。

選んでくれたワンピースを、紙袋ごと受け取る。

「ほんとにありがとう。嬉しい」

そう言ったところで、結花のスマホが震えた。
画面を見て、彼女が「あっ」と目を見開く。

「彼氏、夜勤明けに会えないかって……!」

その声に、私はすぐ返した。

「行ってきなよ。せっかくのクリスマスだし。まだ街中に雰囲気残ってるよ」

結花は一瞬迷ってから、申し訳なさそうに唇を尖らせた。

「ごめんね。ほんとは今日、璃子と誕生日デートする予定だったのに……!」

「いいのいいの。気にしないで。
またソーイング教室一緒に行こうよ。私、それで十分だから」

結花はホッとした顔で、バッグを肩にかける。

「絶対また誘うから!またね!」

そう言って、カフェの出口へ走り出す。
私は手を振りながら、その背中を見送った。

にぎやかな人混みの中に溶けていく彼女の姿が、少しずつ小さくなっていく。
私の手元には、紙袋と、ほんのりあたたかい空気だけが残った。
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