過去を捨て、切子の輝きに恋をする

2.

 朝の工房の明かりは、午後の陽光よりも少しだけやわらかく、切子グラスに反射して細やかな光を返していた。

 テーブルの上には、完成したばかりの冷酒杯とワイングラス型の試作品が、白い布の上に整然と並んでいた。
 どちらも、伝統的な紋様を残しながら、曲線や色彩にモダンな息遣いをまとっている。

 真由子は、そっとそのひとつを手に取った。
 クリアなガラスの底から、紅を帯びたラインが花びらのように広がっている。
 職人が手で刻んだその模様は、見る角度によって表情を変えていた。

「……綺麗ですね。光を含んで、グラスそのものが生きてるみたい」
 言いながら、ふと声のトーンが落ち着いた。

 蒼一郎が無言で日本酒の瓶を取り、冷酒杯にゆっくりと注いだ。
 透明な液体が、切子の中でわずかに揺れ、模様の隙間に光を溜める。

「注いでみると、ずいぶん印象が変わるでしょう」
 彼の声は低く、誇らしげで、それでいてどこか照れているようでもあった。

 真由子もワイングラスを手に取り、静かに日本酒を注いだ。
 ごく淡い琥珀色の液体が、グラスの縁からゆっくりと広がっていく。

「……たしかに、一口ごとに作品を味わうって感じがしますね」
 真由子がふと視線を上げた。

 その言葉に、蒼一郎は目を細めて、横の真由子の顔を見た。

 蒼一郎と目が合った。

 どちらからともなく、わずかに視線をそらす。

 だが、その一瞬の沈黙には、言葉よりも確かなものがあった。
 共にこの形を創り上げたという実感。

「……そろそろ、写真撮っておきましょうか」
 真由子がそう言って、小さく微笑んだ。

 蒼一郎も、それに応えるように頷いた。

「この瞬間は、きっと二度とないからね」

 シャッターの音が、工房に静かに響いた。

 その音の余韻の中で、グラスの中の日本酒が、ほんの少しだけ揺れていた。
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