過去を捨て、切子の輝きに恋をする
第六章 「言葉にならない約束」

1.

 帰国の翌日。
 時差ボケがまだ残る中、真由子は蒼一郎の工房を訪ねた。
 いつもより少し早めの午後。すこし冷たい空気に冬が、もうすぐ近くに来ているのを感じる。

 ガラス戸を開けると、聞き慣れた音が迎えてくれる。
 カット機の低い唸り。グラスを拭く布の音。
 奥から蒼一郎が顔を上げた。

「……おかえりなさい」
「ただいま、戻りました」

 それだけで、少し笑いがこぼれた。

 真由子は手に提げた紙袋を差し出す。

「ニューヨークで見つけた、小さなギャラリーのカタログです。食器じゃなくて、照明とオブジェ中心だったけど、何か通じるものがある気がして」
「ありがとう。君らしい」

 蒼一郎は受け取り、袋の中を覗いたあと、テーブルの端に置いた。
 ふと、並んだままの切子のグラスに視線が移る。

「展示会、成功だったって聞きました」
「ええ。初日のプレゼンは緊張しましたけど、反応もよくて。何件か商談にもつながりそうです」

「……嬉しいです」
 蒼一郎が、少しだけ声を落とした。

「君がいたから、この形になった。どれも、君の言葉がなければ、ここまでは辿り着かなかった」

 真由子は、一瞬言葉を探した。
 それでも、ちゃんと返さなければいけないと思った。

「あなたが……私の言葉を、“形”にしてくれたからです」

 静かな沈黙が流れた。
 切子の器に差す光が、机の上に揺らめいている。

「……報告書、来週までにまとめます。あと、現地の展示会で見た他社の資料も、まとめて共有します」
「はい、お願いします」

 言葉はあくまで業務的。
 でも、そこにはもう“他人行儀な距離”はなかった。

 真由子は、そっと言った。

「これからも、あなたと……」
 蒼一郎が目を上げる。

「はい?」
「……いえ、これからも、一緒に仕事ができたら嬉しいです」

 蒼一郎の目が、ふっとやわらいだ。

「こちらこそ」
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