過去を捨て、切子の輝きに恋をする

2.

 新大阪駅を出て、車で30分。
 堺市の郊外にある染色工房は、民家を改装したような穏やかな佇まいだった。

「“注染”って、伝統的な技法なんですね」
「ええ。型紙を使って、何層にも色を重ねて染めていく。手作業ならではの滲みや柔らかさが出るんです」

 工房主の職人が手にしていたのは、まだ糊が残る途中工程の布。
 それを干すと、やわらかく、風にたなびいた。

「海外の和食レストランって、木のテーブルに直接マットを敷くことが多いでしょう。切子の食器に注染の布を合わせるのもいいかと。美しさと実用性を考えてここに来た」

 蒼一郎の声に、真由子は小さくうなずいた。

「布に器が乗り、器に料理が乗る。対になるもの同士ですね」

   ◇◇

 工房の裏手には、昔ながらの町並みが残っていた。
 昼下がり、二人は商店街を歩き、素朴な定食屋に入った。

「ここ、昔からあるんです。両親と来たこともあります」
「ご実家、堺でしたか」
「いえ、親戚がいて……でも、こうやって“仕事で”来ることになるとは思ってませんでした」

 二人は並んで、カウンターに腰かけた。

 差し出された湯呑の湯気越しに、真由子がふと言う。

「なんだか、少し不思議です」
「何がですか?」

「以前の私なら、仕事仲間との外食なんて考えたことなかった、元の会社の同僚とは、心のどこかで距離を置いてたと思うんです。
 でも、あなたとは、こうして、自然にいられる」

 蒼一郎は、少しだけ箸を置いた。

「僕も、誰かと一緒にいて構えなくていいって、こんなに楽なことなんだって、最近知りました」

「……」
「君といると、自然にインスピレーションが湧いてきます。それも、どう伝えて、どう売るか、だけじゃなくて、その先の“どう残すか”までね」

 真由子は、言葉の代わりに、ゆっくりと湯呑を持ち上げた。
 湯気が揺れ、向かいの蒼一郎の輪郭が柔らかく滲んだ。

   ◇◇

 夕方、新幹線の車内。
 隣同士の席で、大阪土産を包む袋が足元に置かれている。

 真由子はスマホで展示用マットのアイデアをメモしていたが、ふと画面を閉じた。

「……染め物、すごく美しかったですね」
「ええ。切子とはまったく違う技術だけど、どちらにも手作りの味がある」

 しばらく沈黙が続いたあと、蒼一郎が静かに言った。

「新しいシリーズ、“Plating Art : Glass & Fabric”。どうでしょうか」
「いいですね。共鳴する素材、という感じがします」

 ふと、車内アナウンスが東京駅到着を告げた。
 窓の外には、もう夜の帳が落ちかけていた。

 荷物を持ち上げながら、真由子がぽつりと言った。

「今日は、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」

 改札に向かって並んで歩く。その歩幅が、ぴたりと合っていた。

「……また一緒に、どこか行きましょう」
 二人の声が重なった。
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