過去を捨て、切子の輝きに恋をする

3.

 東京・南青山。
 桜のつぼみがほころび始めた週末、ギャラリー「leggero Aoyama」でZenCraft主催のプライベート展示会が開催された。

 世界各国から招かれたのは、欧州の星付きレストランのオーナーや、ニューヨークのホテルF&Bマネージャー、パリのセレクトショップのキュレーターなど。
 彼らの目の前で、“Glass & Fabric”シリーズが実際に料理とともにテーブルに並べられる。

 和食器でありながら、どこか現代建築のような佇まい。
 注染のマットに光が透け、グラスの底から反射する模様がテーブルに広がる。

 蒼一郎は、簡単な挨拶のあと、静かに職人のデモンストレーションを披露した。
 真由子は、そのすぐ脇で各国バイヤーの質問に対応する。

「We wanted to create a dining experience that feels like a conversation—with the past, with the material, with the hands that made it.(私たちは、まるで会話をするようなダイニング体験を創りたかったんです。過去と、素材と、それを作った人々の手と――)」
「So, every glass, every fabric here… speaks.(だから、ここにあるグラスも、布も、すべてが語りかけてくるんです)」

 イベントの終盤、ふたりはギャラリーの控室で一息ついていた。
 窓の外には、都心の空が薄く曇っている。

「……展示、無事終わってよかったですね」
「うん。今回は、商品の展示というより、メインは情報発信だったよね」

 蒼一郎がそう言ったとき、真由子はふと視線をあげた。
  
   ◇◇

 ロンドン・メイフェア。

 通りから奥まった石造りの建物。その地下1階に、和食レストラン「Shizuku」はある。
 今夜は、世界中の関係者だけを招いたプレオープンの夜だった。

 玄関から通された廊下には、木と紙を模した意匠のパーティションが並び、かすかに和紙の香りが残っている。
 店内に入ると、静かな驚きが真由子の中に広がった。

 ガラス越しに見渡せる店内。
 木肌の残るテーブルに、注染のランチョンマット。
 そして、中央には江戸切子の冷酒杯と小鉢が丁寧に配置されている。

 空間全体は、レトロモダン。
 江戸期の意匠と、欧州のシンプルモダンが溶け合っていた。

「見事ですね」
 背後から聞こえた声に、真由子は振り返る。
 蒼一郎が、少しだけ改まった服装で立っていた。

「写真で見たよりずっと良いです。……正直、驚いてます」真由子が言う。
「驚いたのは僕もです。自分の器が、こうして“文化”として飾られているのを見るのは、はじめてで」

 蒼一郎が近づき、二人は窓際のテーブルの一つに並んで立つ。

 テーブルの上には、真由子たちが中心となって企画した“Glass & Fabric”のプロダクトが並んでいた。
 冷酒杯、白地に藍を重ねたランチョンマット、そして薄墨の小皿。

 視察が終わり、レストランのマネージャーがふたりを見送る。

「次にこの席に料理が並ぶときには、お客さまの笑顔があるといいですね」
 真由子のその言葉に、蒼一郎は小さくうなずいた。

   ◇◇

 レストランを後にし、メイフェアの石畳の通りを並んで歩く。
 夜は深まり、背後の「Shizuku」からは、灯りだけが静かに漏れていた。

「ここまで来たんだな、僕たち」
 蒼一郎が、ふと呟く。

 真由子は、少しだけ空を見上げて答えた。
「思い描いていた場所じゃなかったけれど……今なら、この場所が、ふさわしいって思えます」

 蒼一郎はうなずき、真由子の横顔に視線を向けた。
「僕たちには、まだ続きがある」

 真由子は、返事の代わりに、そっと一歩だけ近づいた。
 肩が自然に触れ合う距離。

 ふたりの足音が、ロンドンの石畳にやわらかく響く。
 ヒールと革靴、それぞれのリズムが、どこか似てきていた。

 やがて、大通りへ出る。
 車のライトが近づき、信号が赤に変わる。

 立ち止まった瞬間、真由子は静かに、蒼一郎の腕に自分の腕を絡めてみた。
 蒼一郎は特に驚くこともなく、そのまま立っていた。

 信号が青に変わる。
 交差点の向こうには、まだ人通りのある通りと、街の灯。

 二人は腕を組んだまま、夜のロンドンを歩いていった。
 <END> 
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