彩葉という名の春
第8章
雨の日
その日の午後──
空は重たく曇り
しとしとと小雨が降り続いていた
外に出られず
彩葉は座敷で静かに針仕事をしていた
「……やっぱり難しいな……」
慣れない和服のほつれ直しに
何度も針を指に刺してしまう
その時──
「大丈夫ですか?」
「あ……恭介さん……」
恭介が静かに近づいてきた
「血が出ていますよ」
「あ、えっと……ちょっと刺しちゃって……」
「拝見しても?」
「は、はい……」
彩葉は指先をそっと差し出した
恭介は彼女の手を優しく包み
傷口を確認する
「小さい傷ですね。でも消毒しておきましょう」
「あ、ありがとうございます……」
恭介は立ち上がり、棚から薬箱を取り出してきた
「少し沁みますよ」
「うぅ……はい……」
恭介が優しく薬を塗ると
ピリッとした痛みが走った
「……っ」
思わず顔をしかめる彩葉を見て
恭介がふっと微笑む
「痛いのは嫌いですね」
「……はい……」
「ですが、我慢強い方だと思いますよ」
指先をそっと包帯で巻いていく恭介の手は
丁寧で、どこまでも優しかった
治療が終わると、彩葉は少し恥ずかしそうに指先を見つめた
「……すみません、手間をかけさせて」
「いえ。大事なお客様ですから」
「……私、もうだいぶお世話になってしまってますね……」
「それは構いません。ですが──」
「……?」
「“お客様”ではなく、“家族”のように思っていますよ」
「……っ」
突然の言葉に
胸が強く鳴った
目が合うと
恭介はいつもの穏やかな笑みを浮かべていた
「……それは、嬉しいです……」
「ふふ……良かったです」
その時、障子の外で雷が鳴った
──ゴロゴロ……
自然と彩葉は肩をすくめた
「……雷、苦手ですか?」
「……はい……ちょっとだけ……」
「では、しばらくこちらに座っていてください」
「あ、でも……」
「平気です。私もここにおりますから」
そう言って恭介は彩葉の隣に静かに腰を下ろした
障子の向こうでは
雨が優しく庭を叩き続けていた
ふたりの間に流れる静かな空気──
その距離は
ほんの少しだけ縮まっていた
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