彩葉という名の春
──
「わあ……想像以上に古い…」
「でしょ〜?ほんとに昔のままなの」
千代ばぁが重たい蔵の扉を引く
ギィィィ……
埃っぽい匂いがふわっと舞い上がる
「わ、マスク付けよ」
「うんうん、用意してあるからこれ使ってね〜」
彩葉はマスクを着け
ゆっくりと蔵の奥に足を踏み入れた
古びた木箱や古道具が無造作に積まれている
「なんか…宝探しみたいだね〜」
「ふふ、そうかもねぇ」
その時だった──
蔵の隅に
他の箱とは明らかに違う、美しい桐の箱が静かに佇んでいた
──まるでそこだけ、時が止まっているみたいだった
「千代ばぁ、これ……?」
「えぇ……それが、兄が残していった箱よ」
「……これ?」
「ええ──彩葉なら、開けてくれていいわ」
彩葉は息を呑み
膝をついてゆっくりと蓋を開けた
中には、丁寧に束ねられた封筒と──一枚の古い写真
軍服を纏った青年が
穏やかな笑みを浮かべていた
その柔らかな眼差しに
彩葉の心がふわりと揺れる
「これが……恭介さん……」
「そう。本当にとても優しい人だったのよ」
彩葉は、指先でそっと封筒の中から便箋を引き出した
薄く黄ばんだ紙は
まるで今でも鼓動しているかのように
わずかに温かく感じた
──『愛しい君へ──』
その一行目で、自然と呼吸が止まった
『今日も、君のことを思い浮かべています。』
『この国の行方も、明日がどうなるのかも、何ひとつ確かなものはありません。』
『だけど──たった一つ、確かに言えることがあるのです。』
『僕がどれほど、君を愛しているか──』
彩葉の指がピクリと震えた
文字はまっすぐで、静かで
でもその奥に、強くて揺るがない想いが溢れていた
『君の笑った顔も、照れた横顔も
僕は全部、鮮明に覚えています』
『どうか、君が無事でいてくれますように。』
『僕は──
君とまた笑い合えるその日を信じています。』
『たとえ、この命が尽きようとも』
『君が生きる世界に、光が戻りますように──』
『藤宮恭介』
胸の奥が、ぎゅっと熱くなった
「……誰に、宛てたんだろう……」
思わず口から漏れたその言葉
写真の中の恭介の微笑みが
まるで静かに語りかけてくるように思えた
──まさか、こんな時代に
こんな真っ直ぐな愛があったなんて……
その瞬間だった
蔵の奥から、ピシッと乾いた音が響く
「……え?」
静かだった空気が、ゆっくりとざわつき始めた
振り返ると、さらに奥──
埃をかぶった木の祠のような小さな箱が
ひっそりと佇んでいるのが見えた
「……千代ばぁ、あれ……?」
「……そこはね、昔から誰も触らなかったのよ」
──ゴロゴロゴロ……
遠くで、雷鳴が低く唸るように響いた
「おかしいな……天気予報、晴れだったよね?」
空気が、じわじわと変わっていくのを感じた
ピリピリと肌を刺すような電流
吐く息さえも、微かに白くなった気がした
──ドォン!!
突然、轟音とともに眩い閃光が蔵を包み込んだ
「きゃ──っ!!」
視界が白く弾ける
倒れ込む間際
彩葉は最後に、あの恭介の写真が優しく微笑んでいるのを見た
──そして、意識は闇に沈んでいった──