彩葉という名の春
第4章
仮初めの日常
翌朝──
障子の向こうから、柔らかな光が差し込んでいた
まだ慣れない布団の中で目を開ける
「……ここは……」
ふわりと畳の匂いが鼻をくすぐった
昨日の出来事が、ゆっくりと頭の中に戻ってくる
──ここは、藤宮家
──私は……過去の日本にいる
信じられない現実
でも、目の前にあるのは紛れもなく昔の日本だった
ふと、廊下から声が聞こえた
「彩葉さん、起きられましたか?」
「あ……はい!」
慌てて布団から起き上がり、扉を開けると
恭介がきちんと背筋を伸ばして立っていた
「おはようございます。朝食の支度ができています」
「……ありがとうございます」
照れ臭さと緊張が混じる
どうしてだろう
昨日会ったばかりなのに、この人の前では自然と背筋が伸びる
座敷に入ると
質素だけど丁寧に整えられた朝食が並んでいた
白米に味噌汁、漬物、少しの干物──
「わ……すごくきれい」
「品数は少なくて申し訳ありません。食糧事情が厳しくて」
「あ……いえ!すごく美味しそうです」
彩葉は箸を手に取る
ほんの少し塩辛い干物
でも、その塩味が心地よく感じた
「……美味しい」
「よかったです」
食べながら
ふと障子の外に目をやると、兵士姿の人たちが小走りで道を駆け抜けていくのが見えた
防空壕への避難訓練だろうか
「……こういうの、毎日あるんですか?」
「ええ。空襲警報は頻繁に出ます。物資の配給も不安定で……ここはまだ比較的穏やかな方ですが、油断はできません」
「……大変なんですね……」
「慣れてしまいましたが、早く終わる日が来てほしいとは思います」
恭介は少しだけ遠くを見るような目をしていた
「……恭介さんは、お仕事……その、軍のお仕事は大丈夫なんですか?」
「今日は非番です。しばらくは自宅待機となっています」
「……そうなんですね」
少し安堵する自分がいた
彼がまたどこかに行ってしまうのが
なぜか少し怖かった
「……ご無理は、なさらないでくださいね」
「ふふ、優しいのですね。ありがとうございます」
恭介が微笑んだその顔に
また胸が熱くなる
「午後は、役所に行ってあなたの身元について相談してきます」
「あ……すみません……」
「いえ。正式に滞在の許可が取れれば、あなたも少し楽になるでしょう」
「……はい」
何から何まで
彼は当たり前のように手を差し伸べてくれる
どうして、ここまで優しくしてくれるんだろう──
でもその答えは
自分でもまだ分からなかった
──
その日の昼下がり──
恭介が外出している間
彩葉は屋敷の中をそっと見て回っていた
縁側に座ると
どこからか子どもたちの笑い声が聞こえてくる
軍服姿の男たちが広場で竹槍訓練をしていた
その横で
配給を受け取るために並ぶ女性たち
「……本当に……戦時中なんだ……」
あまりにも現実感がなくて
何度目をこすっても夢の中のようだった
──でも
恭介さんがいてくれるから
私はまだ平気でいられるのかもしれない──
縁側に座り込んで、空を仰いだ
冷たい春の風が、そっと頬を撫でていった
──新しい、奇妙な日常が
静かに始まっていた──
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