彩葉という名の春
第5章
小さな日常の中で
翌日──
朝から空は薄曇りだった
「おはようございます、彩葉さん」
「あ、おはようございます」
恭介はいつものように、朝食の準備を整えてくれていた
白米に味噌汁、少しの沢庵──
相変わらず質素だけど、温かい食卓だった
「今日は午後から少し出かけます。役所へ」
「あ……その、私の件ですか?」
「ええ。少しずつ手続きを整えておきましょう」
「……ありがとうございます」
「困ったときは支え合うものですから」
まっすぐに微笑む恭介の姿に
また胸がじんわり熱くなる
──
昼過ぎ
恭介が出かけたあと
彩葉は縁側に座って、静かに庭を眺めていた
風がそよそよと吹き
庭の片隅に咲いた梅の花が優しく揺れている
そのとき──
「こんにちはー!」
不意に子どもたちの声が庭から聞こえた
顔を向けると
隣近所の子どもたちが数人、庭先まで来ていた
「お姉さん誰ー?」
「あのね、兵隊さんのお嫁さん?」
「え、ち、違うよ!私は──」
突然の質問に慌ててしまう
けど子どもたちはクスクス笑っていた
「お姉さん、知らない顔だからさ」
「新しい人だ〜!」
「名前は?」
少し戸惑いながらも
彩葉は優しく微笑んで答えた
「神崎彩葉、っていいます」
「彩葉お姉さんだー!」
「彩葉お姉さんー!」
子どもたちは無邪気に笑いながら、庭の方に近づいてきた
「これ、折り紙で作ったの。あげる!」
「あ、ありがとう……」
「お姉さん、兵隊さんに作ってあげて!」
「え?」
「兵隊さんはお守りがあると強くなるんだよ!」
子どもたちの言葉に
思わず胸がじんわりした
「そっか……うん、じゃあ今度渡してみるね」
「うん!」
その笑顔に癒されていると──
「彩葉さん、大丈夫ですか?」
振り返ると
帰宅した恭介が立っていた
「……あ、恭介さん。おかえりなさい」
「子どもたちと遊んでおられたのですね」
「はい……皆さんすごく元気で」
子どもたちは恭介を見つけて手を振った
「兵隊さんー!頑張ってねー!」
「いつもありがとうー!」
恭介は優しく手を振り返した
「君たちも、元気にしているんだよ」
「はーい!」
子どもたちは無邪気に走って帰っていった
その後ろ姿を見送りながら
ふたりの間に少し静かな時間が流れた
「……皆、強いですね」
「ええ。皆、生きることに一生懸命です」
恭介は、ふと少し遠くを見つめた
「……本当は、こういう子たちの未来こそ
平和であってほしいのですが」
「……」
「彩葉さんも、無理はなさらないでくださいね」
「あ……はい……」
言葉少なに返すのがやっとだった
優しさの奥にある
彼の葛藤や苦しさが
今になってようやく少し伝わってくる気がした
──
その夜──
布団に入っても
彩葉はなかなか眠れなかった
──どうしてこの人は
こんなに誰よりも優しくて
誰よりも強いのに、どこか寂しそうなんだろう
目を閉じたまま
胸の奥が、じんわりと熱く締め付けられていた
──運命は、少しずつ少しずつ
ふたりの距離を近づけていった──
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