彩葉という名の春
第6章
眠れぬ夜の距離
その夜──
障子の隙間から月明かりが差し込んでいた
布団の中に入ってはみたものの
彩葉はなかなか眠れずにいた
今日の出来事が何度も頭を巡る
──子どもたちの笑顔
──恭介さんの優しさ
──田嶋さんの明るさ
──戦時中の空気
全てが、今でも少し夢の中にいるようだった
でも──
一番強く残るのは、恭介の存在だった
「……寝れない……」
小さく呟いた時だった
──コンコン
障子を軽く叩く音がした
「……彩葉さん。まだ起きておられますか?」
「あ……はい……」
「失礼します」
恭介がそっと障子を開けて現れた
月明かりの中で
軍服ではなく、部屋着姿の彼がどこか柔らかく見えた
「寝付けないのではと思いまして。少しお茶をお持ちしました」
「あ……ありがとうございます……」
膝の上に置かれた湯呑みから
ふわっと湯気が立ち上る
湯呑み越しに見上げた恭介の表情は
いつもと変わらず、優しかった
「今日も色々と、お疲れになったでしょう」
「……いえ……むしろ、皆さんが優しくて……」
「ふふ……子どもたちとも、随分と打ち解けておられましたね」
「あんなふうに無邪気に笑われると、こっちまで元気になりますね」
「子どもは、強いです。大人が思うよりずっと」
「……恭介さんも、強いと思います」
ぽつりと本音が漏れた
恭介は少しだけ驚いたように瞬きをして
ゆっくりと微笑んだ
「強くなどありません。私はただ、目の前にあるものを守りたいだけです」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなった
「……誰かを守れるのは、強い人だけだと思います」
「……ありがとうございます」
恭介の声が少しだけ低く、柔らかくなる
その距離が、いつもより近く感じた
ふと
障子の外から遠く雷鳴のような爆音が響いた
「……今の、爆撃音……?」
「ええ。少し離れた場所でしょう。こちらには影響ありませんが……」
恭介の目が、ほんのわずかに険しくなる
でもすぐに微笑み直した
「怖くはありませんか?」
「……正直、怖いです……」
「……」
恭介はそっと手を差し出した
「よければ、少しだけ」
彩葉は一瞬戸惑ったが
自然とその手に自分の指先を重ねていた
彼の掌は、想像していたよりも
あたたかくて、包み込まれるようだった
「ここにいる間は、私が必ず守ります」
「……っ……」
「だから、安心して休んでください」
胸の奥が熱く締め付けられる
何度も何度も、彼の優しさに触れるたび
心が揺れていく
だけど──
この人の正体が
まだ完全に分からないままの私は
自分の揺れていく気持ちに
少しだけ戸惑っていた
「……ありがとうございます」
「おやすみなさい、彩葉さん」
「おやすみなさい……恭介さん」
恭介が静かに障子を閉めて去っていくと
彩葉は、まだ残る温もりをそっと両手で包み込んだ
──ドキドキして眠れそうになかった
だけど──それでも、今は
ほんの少し、幸せだった
⸻