【シナリオ】恋も未来も、今はまだ練習中。
第5話 はじめての発表会、はじめての鼓動
○子ども発達実習棟・保育実習室/夕方
放課後の保育実習室。
ピアノの横では、榛名が持ってきた絵本を片手に、脚本を組み立てている。
周囲ではサークルメンバーたちが衣装の布を切ったり、セリフ合わせをしたりと、発表会に向けて活気があふれていた。
榛名「さてと、じゃあ今回のオペレッタ、“てぶくろ”の配役、決めていきますかー!」
榛名の言葉に、部室にいたメンバーたちが一斉に顔を上げる。
榛名「主役の“くまさん”は……今年も美哉にやってもらおうかな。去年も人気だったし」
美哉「また俺か〜。まぁいいけど、練習はそこそこに頼むよ?」
榛名「じゃあ“ねずみ”は……梶塚さん、どう?」
汐梨「えっ、私ですか……?」
榛名「台詞少なめ、でもピアノの前で歌うソロパートもある。今回のメイン曲、汐梨ちゃんに合ってると思って」
ざわつく空気。汐梨は皆の視線を感じて、少し肩をすくめる。
汐梨「でも、私……声、震えちゃうし……ピアノもまだ……」
美哉「大丈夫。俺が、ちゃんとサポートする」
美哉が自然な調子で言ったその言葉に、汐梨の心がわずかに揺れる。
そのまっすぐな視線に、少しだけ勇気が湧いてきた。
汐梨「……はい、がんばってみます」
○大学・屋外ピアノ練習室/日暮れ
大学の裏手にある、少し古びた練習室。小さなピアノが置かれた空間で、汐梨は鍵盤に指をのせていた。
汐梨「……うう……指がうまく動かない……」
美哉「音を外すのは、気にしなくていい。大事なのは、心を込めることだよ」
そう言って、美哉は彼女の横に座る。指が絡み合うように、彼女の手の上に手を重ねる。
美哉「ほら、この音……優しく。ここは“ねずみ”の気持ちになって、少し不安で、でも嬉しい……そんな気持ちで弾いてごらん?」
汐梨(気持ちで弾く、って……どういうことだろう)
でも、不思議とその手の温もりが背中を押してくれる。
もう一度、彼女は鍵盤に向き合う。
――ぽろん……ぽろん……
おそるおそる紡いだメロディーに、美哉は小さくうなずく。
美哉「……うん、今の。すごく良かった」
汐梨「……ほんと?」
美哉「うん。ちゃんと“届く”音だった」
そう言って微笑む美哉の顔に、汐梨はどこか胸が苦しくなる。
(なんだろう、この気持ち……)
○大学・発表当日/午前
構内の小ホールには、提携保育園の子どもたちと保護者がすでに集まっている。
舞台裏では、出演者たちが衣装に着替え、緊張感が漂っている。
柚子「やばい……手汗すごい……!」
理玖「大丈夫! 柚子ならできるって!」
そして、幕のすぐ裏で、汐梨は自分の出番を前に立ちすくんでいた。
汐梨(やっぱり、私には無理かも……人前でピアノとか、無理だよ……)
両手が震えている。喉も乾いて声が出ない。
そんなとき、隣からそっと差し出されたペットボトル。
美哉「飲んどきな。深呼吸も」
汐梨「……柴崎先輩」
美哉「無理なら、無理って言ってもいい。でも、君の演奏、俺は好きだったよ」
その言葉に、汐梨の目に涙がにじむ。
汐梨「……やります。やってみます……!」
美哉「よし、じゃあいってこい、“ねずみ”さん」
その言葉に背中を押されて、汐梨は舞台に出て行った。
○大学ホール・舞台/昼
ライトが当たり、客席からの視線が注がれる。
だが――
(……怖くない)
隣に美哉がいる。サークルのみんなが、笑って見守ってくれている。
ピアノの鍵盤に手をのせる。
――ぽろん……
やさしい音が響き、保育園の子どもたちが「わぁ……」と小さく声を漏らす。
その瞬間、汐梨の顔に自然な笑みが浮かんだ。
(あ、私、いま……ちゃんと“できてる”)
○舞台裏・終了後/午後
発表が終わり、舞台裏で荷物を片付ける汐梨のもとへ、美哉がやってくる。
美哉「お疲れ様、“ねずみ”さん」
汐梨「……ありがとうございました」
ぺこっと頭を下げた後、ふっと笑みがこぼれる。
汐梨「なんだか、私、今日……やっと“大学生”になれた気がします」
美哉「それ、名言っぽいね。どっかに刻もうか?」
汐梨「やめてくださいっ」
二人、笑いあう。
そのとき、美哉がふと真顔になる。
美哉「……俺、来年卒業なんだ」
汐梨「えっ……?」
美哉「うちのサークルって、三年から引退する人も多いんだ。俺も、卒論あるし……たぶん、もう来年度は」
汐梨は、胸がきゅっと締めつけられるのを感じた。
(まだ……まだ、こんなに仲良くなれたばかりなのに)
美哉「でも、あと半年は一緒にいるから」
そう言って、優しく頭をぽんと撫でてくれた。
汐梨(この手が、こんなにもやさしくて、あたたかいなんて、知らなかった)