【シナリオ】恋も未来も、今はまだ練習中。
第8話 揺れる想い、雨に濡れた日
○大学構内・朝
夏の空は重く、グレーの雲が空を覆っていた。
登校してくる汐梨の手には、折りたたみ傘。今日の空模様がそのまま、彼女の気分のようだった。
汐梨(……昨日のあの言葉、あれは――)
美哉『でも、その相手が“誰”なのかは、まだ内緒、でしょ?』
汐梨(“好き”って言ったも同然なのに……先輩は、ああいう人だもんね。誰にでも優しくて)
複雑な気持ちを抱えたまま、汐梨は講義棟へと入っていく。
○講義室・午前
授業後、席を立とうとする汐梨の前に、一人の女子が現れる。
麗奈「梶塚さん、ちょっといい?」
汐梨「……えっ、あ、はい」
見覚えのある顔。サークルの先輩、中野麗奈。
麗奈「オペレッタの主役、おめでとう。すごいわね、一年生なのに」
汐梨「いえ、そんな……」
麗奈「でも、知ってる? 去年まではあの役、三年生以上しかやらせてもらえなかったの。先輩方が“特別に”決めてたのよ。まあ、今の副部長の推薦があったから通ったんでしょうけど……」
汐梨「……?」
麗奈「ねえ、あなたって、柴崎先輩と“どういう関係”なの?」
汐梨「え……っ?」
汐梨は一瞬、息を飲む。麗奈はにこりと笑っていたが、その笑顔の奥に鋭い感情が見え隠れする。
麗奈「“関係ない”なら、ちゃんとそう言ってね。誤解されると、困る人もいるから」
そのまま麗奈は去っていく。
汐梨(……今の、どういう意味?)
○キャンパス・中庭/昼
雨が降り出す。汐梨は急いで傘をさす。
向かいから、傘をささずに走ってくる美哉の姿が見える。
美哉「うわーっ、傘忘れたっ……汐梨ちゃん!」
汐梨は傘を少し傾けて彼に差し出す。
汐梨「入ります?」
美哉「いいの? ありがとう〜」
ふたり、ひとつの傘の中。濡れた髪から水滴が落ちて、美哉の手が汐梨の肩に触れる。
汐梨(近い……。こんなに近いのに、心は少し遠い気がして)
汐梨「あの……柴崎先輩」
美哉「ん?」
汐梨「私が主役になったのって……“特別”だったから、ですか?」
美哉「え?」
汐梨「誰かに“特別扱い”されてるって、言われました。先輩の“推薦”があったって……」
美哉「……」
一瞬、美哉の笑みが消える。
美哉「……それ、麗奈に言われた?」
汐梨「……はい」
美哉「汐梨ちゃん。俺は、君の努力を見てたよ。ピアノも、歌も、人前に立つのも苦手だったのに、一歩ずつ頑張ってた。俺はそれを“すごい”って思っただけなんだ」
汐梨「でも、もし私が……先輩を好きだから頑張れたとしたら、それってダメですか?」
雨の音だけが響く。
傘の下、美哉はそっと手を伸ばし、汐梨の濡れた頬を指先で拭う。
美哉「……ダメじゃないよ。でも、俺もきっと“同じ気持ち”だから、いろいろ気をつけたかったんだ」
汐梨「“同じ気持ち”……?」
美哉は一歩、汐梨に寄る。
美哉「俺、汐梨ちゃんのこと、気になってた。最初に会った日から、ずっと」
ふたりの距離が――もう一度、近づく。
汐梨「……それって、告白、ですか?」
美哉「うーん、まだ途中かも」
そう言って、美哉は微笑む。汐梨は思わず笑って、涙をこらえる。
汐梨「じゃあ、ちゃんと聞かせてください。“最後まで”」
美哉「うん。今度、ちゃんと“言葉”にするよ」
○オペレッタサークル部室/夕方
雨は止み、部室には和やかな雰囲気。
榛名「じゃあ主役の汐梨ちゃん、今日から発声練習本格スタートだね!」
美哉「……あ、俺、付き合っていい?」
榛名「おっ、珍しい。後輩LOVEモード?」
美哉「いや〜、まあ……そんな感じ?」
冗談のように流すが、その目は真剣。
その視線を、またもや麗奈が遠くから見つめていた。
麗奈(あの子が“恋の主役”だなんて、そんなの――認めたくない)