キスはボルドーに染めて
 すぐにお客様が購入したワインの履歴を調べると、陽菜美が予想した通り、ヴィンテージものの赤ワインだった。

「多分それは酒石(しゅせき)です。ワインの中の酒石酸(しゅせきさん)とカリウムが結晶化したものなので無害です。特に高級ワインには出やすいと言われていて、むしろ歓迎されるものなんです」

 陽菜美の話を聞いた課長が“酒石”というワードでマニュアルの該当箇所を確認、企業側の担当者にも報告を入れる。

 その後、陽菜美がお客様と話をすることで、このクレームは事なきを得たのだ。

 今日の報告会は、きっとその時の内容のことだろう。


 陽菜美はブースの自分の席に座ると、そっと辺りを見渡す。

 まだ貴志はこのフロアには来ていないようだ。

「顔見たくないなぁ……」

 陽菜美は小さくつぶやくと、出勤前に鞄に入れてきた、飾り細工がしてあるマグネットを取り出した。

 これはフランスの空港で、出発待ちをしている時に買った、自分用のお土産だ。

 手のひらサイズのマグネットには、黒い房をつけた葡萄の樹と、バスケットに入った赤ワインやチーズの細工が施してある。

 陽菜美はマグネットを目の前に掲げると、ふうと小さく息をついた。
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