婚前一夜でクールな御曹司の独占欲に火がついて~旦那様は熱情愛で政略妻を逃がさない~

1章



 いつか、こんな日がくるとわかっていた。

「──お見合い、ですか」

 朝晩の冷え込みが厳しくなってきた十一月初旬。自宅での夕食後、叔父に呼ばれて訪れた書斎で聞かされた言葉を、蘭はどこか事務的に復唱する。
 輪郭の丸い色白の小さな顔の中で、瑞々しいさくらんぼのように目を引く赤い唇。パチリとまたたいた黒曜石の大きな双眸に、けぶるような長いまつ毛。左目の下にぽつんとあるホクロは、今は亡き母とお揃いだったから蘭自身気に入っている。
 鎖骨にかかるストレートの髪はこれまで一度も染めたことのないピュアブラックで、きちんと脚を揃えてソファに腰かける姿は、日本人形にも似た清廉な雰囲気を纏っていた。
 そんな彼女をローテーブルを挟んだ向かい側のソファから見つめる五十がらみの男性、旧華族の名家である花城(はなしろ)家の現当主・花城由紀夫(ゆきお)は、愛想のないしかめ面で話を続ける。

「ああ。先方から、直々におまえを名指しして打診があった。おまえを娶ることで、花城が持つ人脈を有用する権利を得るのと引き換えに……花城家へ、半永久的な援助を申し出ると」
「それは、ありがたいことですね」

 他人事のようにそう言ってうなずく蘭の反応に、眉根を寄せた由紀夫はふんぞり返ってソファに体重を預ける。

「おまえの婚姻と引き換えの話だと、きちんと理解しているか?」
「もちろんです、叔父さん」
「……なら、いい。そのうち先方から挨拶に来るはずだ。しっかり対応しろ」
「はい」

 まっすぐな瞳で静かに、けれどはっきりと応えた蘭にいつもの如く気味の悪さを感じ、由起夫は組んだ自分の腕を人知れずさする。
 三年前に死んだ兄――前当主のひとり娘である蘭は、幼い頃から表情が乏しく考えていることが読めない、由起夫からすれば不気味な子どもだった。
 彼女が二十四歳になった今も、それは変わらない。前当主の死後この本邸に移り住んで来た叔父夫妻がいくら邪険に扱っても、傷ついた素振りなどを見せない。鈍感なのか、単に愚かなのか――いずれにせよ、こうして利用価値があったのだから無理に追い出すことはしなくて正解だったと思う。
 花城家。
 始祖は平安時代までさかのぼり、明治の華族令制定以降は伯爵家として不動産業で財を成した名家だ。
 しかし先々代──蘭の曽祖父の代で事業に失敗して以降、生活は一変。花城家は急速に没落の一途をたどった。住居としている母屋のほかは広大な庭と離れがあった敷地や所有していたほとんどの土地・建物もすでに売り払い、今は僅かに手もとに残せた土地からの不動産収入で細々と生計を立てている。
 だが由起夫は、いつまでもそんなみじめな生活に甘んじるつもりなどなかった。花城家がかつての威光を取り戻す日を、今か今かと待ち望んでいたのだ。
 この縁談は、その最初の一歩だ。花城家本家に次男とした生まれたときから、長男だというだけで取り立てられてきたあの小心者の兄の影に隠されてきた。その自分が当主としてこの花城を再び表舞台で輝かせる、第一歩。

「それで、お相手はどちらの方でしょうか?」

 蘭の声で自らの思考から我に返った由起夫は、咳払いをして答える。

「ああ。おまえも知っているはずの男だ。なにしろ相手は――」

 そうして、相手の名前を話して聞かせたそのとき。
 由起夫は自分の姪が、これまでの中で一番驚いた表情をしたのを見た。
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