ひと夏の星に名前をつけるなら
夕ご飯を食べ終えると、母が「近くの温泉へ行こう」と言った。
父も一緒に車に乗り込んで、私たちは山の麓にある小さな温泉施設へ向かった。

建物から出ると、一日が終わりを告げる匂いがした。
温泉で火照った体に、窓から入る夜風が心地よかった。

「見て、星がすごいわよ!」

母が声を弾ませる。

私は車の中から外を見た。
視界いっぱいに、星。

街では絶対に見えないような、数えきれない光が空に浮かんでいた。

「ほんとだ……」

それは“綺麗”なんて言葉じゃ足りなかった。
吸い込まれそうだった。
でも、怖くはなかった。
むしろ安心した。

何もかもが分からなくて、宙に浮いているこの気持ちも、この空の下ならどこかに置いていける気がした。

「ねぇ、ちょっとだけ寄り道していい?」

帰り道、私はそう言った。
家族は「いいよ」と気軽に返してくれた。

車を降りて、ひとりで歩く。
森に向かう獣道。

ふと懐かしさが全身を覆う。
その奥、森の中に少しだけ開けた場所がある。

私はその場所に向かって歩き出した。
星に、何かを見つけにいくように。
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