私のことが必要ないなんて言わせません!【菱水シリーズ③】
目を閉じ、眠るようにしている梶井さんは私の知らない人みたいだった。
そこにいるのは傷を負った一匹の獣のようだった。
暗く重く、梶井さんが弾くサンサーンスの白鳥が頭の中によみがえる。

「梶井さん」

私が我慢できずに名前を呼ぶと梶井さんはハッとしたように目を開けた。
そして、私を見た。
いつもの余裕たっぷりな表情はなかった。
険しく、眉間にしわを寄せ、見られたくなかったという顔。
それは梶井さんの本当の顔のような気がして、足を前に進めた。
手負いの獣に近寄れば、私は傷つけられる。
わかっていて私は近づいた。

「なんだ。お前か」

誰と間違えたの?なんて、きかなくてもわかる。
苛立ち、制御できない感情が梶井さんから伝わって来た。

「悪い。今は一人で―――」

梶井さんのそばまで行くと、その声を打ち消すようにぎゅっとその体を抱き締めた。
それと同時に激しい雨が降り始めてざぁっと地面を強く叩く音が聴こえてきた。
しばらく、私達は無言のままだたけど、最初に口を開いたのは梶井さんだった。

「……おい。なにしてるんだ」

「慰めてあげようかと思って」
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