25年ぶりに会ったら、元・政略婚相手が執着系社長になってました
翌朝。
まだ朝の光がやわらかい頃、信吾が静かに言った。

「入籍の前に、ご両親に挨拶に行きたい」

その一言に、美和子の胸が一瞬ざわめいた。
父のことを思えば、不安にならないはずがない。

それでも、そっと握られた信吾の手の温もりが、その不安を包み込んだ。

美和子はうなずき、実家に連絡を入れた。
父の反応はそっけなかったが、「会いたいというのなら来ればいい」と言われ、予定を決めた。

――その日、ふたりは美和子の実家を訪れた。

居間には、父と母が並んで座っていた。
信吾は礼儀正しく挨拶し、深々と頭を下げた。

しかし、父はその言葉を遮るように言い放った。

「美和子は、君とは結婚させない。今すぐ、娘と別れてくれ」

居間に、空気が張り詰める。

一瞬の沈黙の後、信吾はまっすぐ父の目を見て答えた。

「私は一般家庭に育ちました。サラリーマンですし、富岡さんのような財力も社会的立場もありません。
ですが――美和子さんは私を選んでくれました。私は、人生をかけて彼女を守ります」

「彼女の人生は、彼女自身が選ぶものです。
どうか……結婚をお許しいただけませんか。
必ず幸せにします」

父は、冷たい声で返した。

「君は、自分の立場がわかっていないようだね。
私は、君を辞めさせることだってできるんだよ。
なかなか優秀らしいじゃないか? 君の輝かしい未来を、私は一言で消すことができる。
そんな状態で、どうやって美和子を守っていくつもりなんだ?
あの子は苦労も貧乏も知らずに育った娘なんだ」

それでも、信吾は揺らがなかった。

「彼女に交際を申し込んだとき、私はすでに決めていました。
どんな状況でも、彼女を絶対に幸せにすると。
それは、美和子さんだけじゃない。
将来、私たちに子どもができたなら、その子の幸せも含めて、私は責任を持ちます。

私の未来は――美和子さんと、共にあります」

父は顔をしかめ、立ち上がった。

「不愉快だ。今すぐ帰ってくれ」

そして、無言で居間を後にした。

その場に取り残された、美和子と信吾。
母は、何も言わずに静かに見つめていた。
その瞳には、言葉にできない葛藤と、娘への愛しさがにじんでいた。

その夜、美和子は荷物をまとめて、家を出た。
そして――二度と、実家の敷居をまたぐことはなかった。

数日後、ふたりは婚姻届を役所に提出した。
記入されたふたりの名前と、重なる印。
それは、たったひとつの答えだった。

信吾は職を辞めさせられることもなく、むしろその後も順調に出世を重ねた。
後から知ったことだが――それは、美和子の母が、父に懇願し、必死に止めてくれたからだった。

夫に逆らうことのなかった母が、初めて声を上げた。
娘の未来を、信吾の誠意を、守るために。

美和子は、母に迷惑をかけたことを、心から申し訳なく思いながらも、あの時――
確かに守られたのだと、感謝の思いで胸を満たした。

そしていま――
その母も、もうこの世にはいない。
でもその愛は、たしかに、美和子の中に、生きている。

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