25年ぶりに会ったら、元・政略婚相手が執着系社長になってました
真樹は扉が開くや否や、言葉よりも先にその腕を伸ばした。
驚いた美和子が一歩後ずさろうとしたその瞬間、彼の胸の中にすっぽりと収まってしまった。

「……ただいま」

耳元で囁かれたその一言に、美和子の体はこわばったまま、何も返せずにいた。
真樹は顔を寄せ、そっと微笑んだ。

「美和子、聞きたいんだ。君の口から」

「な、何を……?」

戸惑う声が、かすかに震える。

「何って――『おかえり』だよ。俺のために、言って」

美和子は目を瞬かせた。思いもよらなかった。
けれど、真樹の視線はまっすぐで、どこまでも優しくて、逃げ場がなかった。

「……あ、お帰りなさい」

その声は、囁きのように小さく、でも確かに彼の心に届いた。

真樹は満足そうに微笑むと、そっと彼女の体から腕をほどいた。

「うん、やっと聞けた。……ありがとう」

それだけ言うと、何事もなかったかのようにリビングへ向かって歩き出す。
その後ろ姿を、美和子はしばらくの間、ぽかんと見送っていた。

胸の奥に、じわりと何かが広がっていく。
照れくささと、嬉しさと、ちょっとした敗北感がないまぜになって、心がふわりと揺れた。

真新しい江戸切子のグラスに、淡い琥珀色の梅酒が静かに注がれていく。
お盆には、色鮮やかなぬか漬けが小鉢に盛られて添えられていた。

「手作りか?」と真樹が目を細める。
「そうです」と微笑む美和子。

「うまそうだな。食べてもいいか?」

「どうぞ、召し上がれ」

真樹は一口食べると「うん、うまい」と小さく頷いた。
「料理がうまいな、美和子は」

「ありがとうございます。またご馳走しますね」
ふっと笑って返す美和子。その笑みに、真樹は目を細める。

二人でソファに腰掛ける。グラスを手にしたまま、真樹がぽつりと口を開いた。

「なあ、また……お礼してくれるか?」

「うふふ、お礼してくれるかって、何その質問?」
冗談めかして返した美和子だったが、次の瞬間には、真樹の顔がそっと近づいていた。

「……キス、したい」
その目は真剣だった。

美和子は思わずうつむく。けれど、真樹の声が静かに続く。

「ダメか?」

その声音には、懇願にも似たやわらかさと、どこか拒絶させない圧があった。
まっすぐな想いが込められていた。

美和子はそっと息を吸い、横を向いたまま、ぽつりとつぶやく。

「……そんなこと、聞かないでください」

その言葉は、拒絶ではなかった。
頬はほんのりと赤く染まり、指先はわずかに震えていた。
それでも彼女は、逃げることなく、そこにいた。

真樹はそっと、グラスをテーブルに置き、もう一度だけ問いかけるように彼女を見つめた。
何も言わず、けれどすべてを尋ねるようなまなざしで。

次の瞬間、美和子の視線が、ゆっくりと真樹に戻った。
ふたりの距離は、もうあとほんの少しだった。
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