25年ぶりに会ったら、元・政略婚相手が執着系社長になってました
乗り換えを済ませ、墓地の最寄り駅まで向かう直通列車に乗り込む。
車内はほどよく空いていて、席に腰を下ろすとすぐに列車が走り出した。間もなく車内販売がやってきて、おなかをすかせていた美和子は、おにぎりと温かいほうじ茶を買う。旅というほどではないけれど、ちょっとした小旅行のような気分だ。

車窓の外は、次第に都会の喧騒から離れ、緑の多い風景へと変わっていく。
ほうじ茶の湯気を見つめながら、静かにおにぎりを口に運ぶ。軽食を終えると、バッグから文庫本を取り出してページをめくったが——内容がまるで頭に入ってこない。目は文字を追っていても、心はそこにはなかった。

諦めて本を閉じ、バッグにしまう。
そして、そっと目を閉じた。

浮かんでくるのは、真樹と過ごした時間。彼のまなざし、声、ぬくもり。
あの夜の腕の中の安心感。
あれは一時の気の迷い?それとも——

自分に問いかける。「私は、どうしたいの?」

……答えは、まだ出ない。
ふうっと深いため息が漏れる。

ただ、目の前の現実から少しだけ逃げるように、ぼんやりと流れゆく車窓の景色を眺めていた。

やがて、到着のアナウンスが車内に響く。
美和子は立ち上がり、駅を出て、近くの店で花と線香を買った。
そして、タクシーに乗り込み、静かに目的地へと向かった。

タクシーは静かに止まり、美和子は運転手に礼を言って降りた。
小さな坂道を上り、見慣れた墓地の入り口をくぐる。
初夏の風が木々のあいだから通り抜け、葉のさざめきが静けさに溶け込んでいた。

信吾の墓の前に立つと、美和子はそっと膝をつき、花を手向け、線香に火を灯す。
ほのかに立ちのぼる煙を見つめながら、しばらくのあいだ言葉を失っていた。

「……信ちゃん、久しぶり」

誰もいない空間で、自分の声だけが風に溶けていく。
それでも、不思議とそこに「彼」がいるような気がして、美和子はゆっくりと目を閉じた。

(信ちゃん、……私、今ちょっと迷ってるの)

(ある人がいて、強引で、まっすぐで、ちょっと困るくらい真っ直ぐで……
だけど、優しくて。私のことを、本当に見てくれてる気がするの)

小さく息を吸って、美和子は言葉を継ぐ。

(あなたと過ごした時間は、幸せだった。嘘じゃない。
あなたはいつも、私の味方でいてくれた。私が自分を見失いそうなときも、
静かにそばにいてくれた)

(だから、できれば許してほしいの……
私、今、また誰かに心を動かされているの)

風がふっと強く吹いて、線香の煙が揺れた。
まるで返事のように、やわらかく。

美和子は微笑んだ。

あなたなら、きっと……“君の人生なんだから、自分で決めろ”って言うわよね。
口では不器用なくらい厳しかったけど、
いつだって私に“従うんじゃなくて、選べ”って言ってくれた。
親の言いなりでしか生きてこなかった私に、
初めて“君の人生を生きていいんだ”って言ってくれたのは、あなたでした」

そして、小さく呟いた。

「ありがとう、信吾さん。
私、もう少しだけ、自分の気持ちに向き合ってみるね」

立ち上がると、美和子は線香の煙が空に溶けていくのを見上げた。
その先には、青く広がる空。

彼女の心にも、ほんの少しだけ光が差し始めていた。
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