25年ぶりに会ったら、元・政略婚相手が執着系社長になってました
真樹が病院に運ばれてから、すでに二日が経とうとしていた。

その間、美和子はほとんど眠らず、彼の手を握りつづけていた。
色を失った指先にも、静かに動く胸にも――もう一度、あの声を聞きたいという祈りだけが重ねられていった。

「美和子さん……」
病室の扉をそっと開けた颯真が、控えめな声で言う。
「今日はもう少し、休まれたほうがいい。あなたが倒れたら、父が一番悲しみます」

「でも……」
美和子は首を横に振る。「私のせいです。私のせいで真樹さんを……。あの人を一人にはできない」

しばらく黙っていた颯真が、少しだけ目線を下ろして、ふと切り出した。
「じゃあ、今から僕と一緒に来てもらえますか?……父の部屋に。見ていただきたいものがあります」

迷いながらも、美和子は頷いた。

タクシーで向かった先は、彼女の住むマンションと同じ建物だった。

「……え?」
戸惑う美和子に、颯真はカードキーをかざし、部屋の扉を開けた。

颯真に案内され、美和子は初めて真樹の部屋に足を踏み入れた。

扉が開いた瞬間、思わず足が止まった。

目の前に広がる空間に、胸が締めつけられる。
ソファ、ダイニングテーブル、キャビネットに並んだ器たち.......
すべて、美和子が以前、真樹と一緒に訪れた家具店やギャラリーで「素敵ね」「これ、いいわね」とつぶやいたものばかりだった。

あの時、彼が何気なく聞いてきた言葉を思い出す。
「また広いところに住むとしたら、どんな家具がいい?」
あれはただの会話じゃなかった。彼は、本気だったのだ。

後ろから颯真の声が届いた。

「これが、父の美和子さんへの愛です。……俺から見ても、正直、重い。
でも、この部屋には父の“あなたへの想い”が詰まってるんです。息苦しいくらいに。」

美和子は言葉を失ったまま、部屋の隅々を見渡した。
目に映る一つ一つが、彼の記憶と祈りを運んでくる。

「美和子さん、今決めてください」
颯真の声が低く、真っ直ぐだった。
「父の愛を、受け取りますか?
もし、あなたにその覚悟があるなら、この部屋の鍵を渡します。
そして、病院へ戻ってください。
父は目が覚めたとき、誰よりもあなたに会いたいはずです。」

胸の奥が熱くなり、堰を切ったように涙が頬を伝う。
愛が、こんなにも静かに、強く積み重ねられていたなんて。

「……美和子さん、あなたはどうしたいですか?」

ゆっくりと顔をあげる。
涙の向こうに、颯真の真剣な眼差しがあった。

「この部屋の鍵をください」

一瞬、颯真の表情がやわらぎ、口元に小さく笑みが浮かんだ。
「……父を、よろしくお願いします」

美和子はそっとその鍵を受け取り、胸にしまった。
颯真が玄関へと向かいかけた時、不意に何かを思い出したように足を止めた。
「美和子さん、もう一つ……確認していただきたいものがあります。」

美和子が振り返ると、颯真は静かに歩みを戻し、部屋の奥の扉を開けた。
その向こうには、整然とした空気の漂う書斎が広がっていた。

「こちらへどうぞ」

促されるままに一歩足を踏み入れた美和子の目に、ふと、机の上に置かれた写真立てが映った。
近づいて、手を伸ばし、そっと持ち上げる。

――まさか。

思わず息を呑んだ。
そこに収められていたのは、25年前のお見合いの席で撮られた一枚。
着物をまとい、まだ何も知らず、どこか不安げに微笑む自分自身の写真だった。

「……どうして、こんな……」

美和子の声がかすれる。

後ろから、颯真が静かに口を開いた。
「正直、どういう経緯で父がこれを手にしたのか、僕にはわかりません。
でも……佳奈に似ていると感じて、ある時ふと、気づいたんです。
この女性が、あなたなのではないかって。」

「俺が言えるのは、たったひとつだけです」
颯真の声は穏やかだったが、その奥には揺るぎない確信が宿っていた。
「……あなたは、父にとって唯一の女性だということです」

その言葉に、美和子の涙が静かに、頬を伝って落ちた。

彼女の手の中には、ずっと忘れられていたと思っていた“初めての出会い”が、今もこうして、大切に残されていた。

まるで、長い時間を経てもなお、彼の心に灯り続けていた一枚の祈りのように。

部屋に戻ると、落ち着いた手つきで着替え、必要なものをバッグに詰めた。
彼が倒れた今、颯真は多くのことを背負っている。
病院へ送って行くという申し出を断り、タクシーで静かに向かった。

再び、彼のそばへ。
今度こそ、真正面からその愛に向き合うために。

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