わがまま王子の取扱説明書
第二話 王太子殿下は問題児?
このダークアッシュの瞳を持つ、
とても綺麗な執事さんの名前はアレックというのだそうです。
サロンで今後の暮らしについて色々と説明してもらっている最中に、
ノックの音がして
メイドがひとり入ってきました。
なにやらアレックに耳打ちして出ていきますと、
アレックはその顔を少し曇らせました。
アレックは人を不快にさせない程度のポーカーフェイスを会得している人だと認識していたので
少し意外です。
傷ついているような、自分を責めているような、なんだろう、うまく形容できませんが、
深い憂慮を伴ってダークアッシュの瞳が揺れています。
事情もよくわからないので、とりあえず曖昧な笑みを浮かべつつ、
そんなアレックをぼんやりと眺めていたら、
「話の途中で失礼いたしました」
とアレックが生真面目に私に向き直ったので、
ちょっとビクッてなりました。
「いえ、お急ぎになられることがあるのでしたら、
どうかそちらを優先してください」
そう水を向けてみたのですが、
アレックは少し困ったような表情をしています。
「急ぐ……というか、この館では日常茶飯のことではあるのですが……」
アレックが言いにくそうに、言葉を切りました。
この時点でなにかあるな、という
私の中の危機アラームが激しく点滅しています。
「どうしたのです?」
一応聞いてみることにしました。
日常茶飯の非常事態って、本当はあまり聞きたくないのですが、
かなりの確率で避けては通れない事柄のように思いますので、この際仕方がないでしょう。
「この館の主、ミシェル様のご気分が優れないらしくて」
(はは~ん、そのパターンでしたか)
私の中で色々なことの符号が一致しました。
導き出した私の答えは、ずばり!これです。
『ミシェル様問題児説』
どうして二国間の人質に
ミシェル王太子と同年のゼノアが選ばれたのか。
しかも従来ならば迎賓の館の一室を宛がわれるであろうところを、わざわざ同じ宮殿内の、
しかもミシェル王太子の部屋の隣に部屋を宛がわれたり、とか。
おそらくミシェル王太子はかなりの問題児で
、館の使用人たちも手を焼いているのでしょう。
そしてそんな問題児の生贄にされるのが、この私、
ミシェル王子と同い年の弱小国の王太子(影武者)というわけです。
(この執事め、最初から計算ずくだったんだ)
少し恨みがましい視線をアレックに向けてみました。
ああ、やだやだ。
しかし、嫌だといって避けられる問題ではないことは、
私だってちゃんと理解しています。
私だって一応、王族の端くれ。
この国にだって、ただ遊びに来たわけではありません。
いくら人質といっても、子供だといっても、
私は一国を背負って外交をしているのですから。
「ミシェル様はご病気なのですか?」
「いえ、病気という程ではないのですが、少し食が細いというか、
食事を召し上がられるのが苦手なのです」
ふうむ。執事殿が言葉を濁しておられますな。
「ミシェル様はどちらにおられるのですか? ご挨拶に伺ってもいいですか?」
虎穴に入らずんばなんとやら、と言いますし、
とりあえずその問題児に会ってみますか。
私は腹を括りました。
◇◇◇
「食さぬ! 食さぬといったら食さぬ! 早く皿を下げよ」
食堂前の扉越しに、
なんだかヒステリックな声が聞こえてきましたよ。
ああ、面倒くさい。
少々げんなりとする自身の気力を振り絞り、扉をノックしてみました。
なんだか開けてはならない扉のような気はしますが。
先触れの侍女さんの後で食堂に入ると、おられました。
この宮殿の主、噂のミシェル・ライネル王太子様が
上座にちんまりと着座しておられます。
それはもう、本当にちんまりと。
兄ゼノアと同年という事はその双子の妹である私とも同じ年の12歳だと聞いていますが、
なんだか思っていたよりも、ずっと小柄です。
これは、ひょっとすると女である私よりも小さいかもしれません。
プラチナブロンドの髪にダークアッシュの瞳が、
まあ死んだ魚のような感じで宙を漂っておられますね。
もとは端正な顔つきであろう少年なのに、なぜだかひどく痩せていて、
血色も悪く、青白い感じがします。
(う~ん、君子危うきに近寄らず)
なんていって逃げ出したい気持ち満々ですが、
立場上そうもいかないので、しっかりと外交することに決めました。
「お食事中失礼いたします。
こちらが本日付けでミシェル様の学友として王宮に入られました、
ゼノア・サイファリア様でございます」
先触れの侍女さんが紹介してくれたので、
「よろしくお願い致します」と
取りあえずの笑顔を浮かべておきました。
弱小国家の人質(影武者)の、現在使えるスキルは無難な笑顔くらいしかありません。
「長旅、ご苦労であったな」
と一応の労いの後で
「貴殿はきれいだな」
ミシェル王太子が呟かれました。
ドンガラガッシャーン!
落雷が落ちました。
私の脳に。
この王太子、いきなり何を言い出すのでしょうか。
私は今、酷く動揺しています。
(こっこここの人、初対面でいきなり何をっ!)
無駄に心拍数が上昇し、頭に血が上っているのがわかります。
落ち着きなさいっったら! 私の血圧!
取り乱してしまった私を、
アレックが生温かい目で見つめてきます。
「からかわないでください。恥ずかしいです」
そう言って一応、幼気な少年の恥ずかしい体を装っておいたので、
心ある大人を自覚している人は、これ以上は何も言えないと思います。
うっかり顔を上げると、
ばっちりミシェル様と目があってしまいました。
しまったと思ったけれど後の祭りで、
私もミシェル様の虚ろな眼差しを暫くの間見つめてしまいました。
そのダークアッシュの瞳は、本来ならばもっときらきらと輝き、
どんな宝石よりも空の星々よりも美しいだろうに。
今は悲しいほどに色を失ってしまっている。
この悲しい色を人はなんと呼ぶのだろうか。
ああ、そうか、絶望だ。
そんなことを考えていました。
「私は醜いであろう」
ミシェル王子がそう私に問いかけられたのですが、
私はその言葉が一瞬理解できませんでした。
美しいとか、醜いとか、全くそういう次元で物事を考えていなかったので。
さて、どう返そうか。
思案を募らせながら言葉を紡ぎました。
「ミシェル様は美しく生きることもでき、醜く生きる事もできます。
それはミシェル様のお心がお決めになることでございましょう」
この人は美しい人だと、私の直感が言っています。
だけど今この人はその本来の姿を失っている。
どうやら何事かにひどく傷つき、深く絶望しているようです。
言うべきか? 否か。
瞬時の躊躇いはあったものの、私は言わないことにしました。
誰でも答えはきっと自分で出さなければいけないのですから。
「では、問いを変えよう。貴殿の目に私はどう映る?」
ミシェル王太子は質問を変えました。
これは意地悪な質問ですね。
これでは言わなくてはならなくなってしまいます。
私はこう見えて心を隠すことは得意だったのです。
そのうえで外交とか人質とか、
色々と理由をつけ取り繕おうってそう思っていたんです。
ですがそんなものはもう意味をなさないようです。
深い絶望の淵にいる死んだ目の王子は、どうやら私の心を御所望らしいので。
とても綺麗な執事さんの名前はアレックというのだそうです。
サロンで今後の暮らしについて色々と説明してもらっている最中に、
ノックの音がして
メイドがひとり入ってきました。
なにやらアレックに耳打ちして出ていきますと、
アレックはその顔を少し曇らせました。
アレックは人を不快にさせない程度のポーカーフェイスを会得している人だと認識していたので
少し意外です。
傷ついているような、自分を責めているような、なんだろう、うまく形容できませんが、
深い憂慮を伴ってダークアッシュの瞳が揺れています。
事情もよくわからないので、とりあえず曖昧な笑みを浮かべつつ、
そんなアレックをぼんやりと眺めていたら、
「話の途中で失礼いたしました」
とアレックが生真面目に私に向き直ったので、
ちょっとビクッてなりました。
「いえ、お急ぎになられることがあるのでしたら、
どうかそちらを優先してください」
そう水を向けてみたのですが、
アレックは少し困ったような表情をしています。
「急ぐ……というか、この館では日常茶飯のことではあるのですが……」
アレックが言いにくそうに、言葉を切りました。
この時点でなにかあるな、という
私の中の危機アラームが激しく点滅しています。
「どうしたのです?」
一応聞いてみることにしました。
日常茶飯の非常事態って、本当はあまり聞きたくないのですが、
かなりの確率で避けては通れない事柄のように思いますので、この際仕方がないでしょう。
「この館の主、ミシェル様のご気分が優れないらしくて」
(はは~ん、そのパターンでしたか)
私の中で色々なことの符号が一致しました。
導き出した私の答えは、ずばり!これです。
『ミシェル様問題児説』
どうして二国間の人質に
ミシェル王太子と同年のゼノアが選ばれたのか。
しかも従来ならば迎賓の館の一室を宛がわれるであろうところを、わざわざ同じ宮殿内の、
しかもミシェル王太子の部屋の隣に部屋を宛がわれたり、とか。
おそらくミシェル王太子はかなりの問題児で
、館の使用人たちも手を焼いているのでしょう。
そしてそんな問題児の生贄にされるのが、この私、
ミシェル王子と同い年の弱小国の王太子(影武者)というわけです。
(この執事め、最初から計算ずくだったんだ)
少し恨みがましい視線をアレックに向けてみました。
ああ、やだやだ。
しかし、嫌だといって避けられる問題ではないことは、
私だってちゃんと理解しています。
私だって一応、王族の端くれ。
この国にだって、ただ遊びに来たわけではありません。
いくら人質といっても、子供だといっても、
私は一国を背負って外交をしているのですから。
「ミシェル様はご病気なのですか?」
「いえ、病気という程ではないのですが、少し食が細いというか、
食事を召し上がられるのが苦手なのです」
ふうむ。執事殿が言葉を濁しておられますな。
「ミシェル様はどちらにおられるのですか? ご挨拶に伺ってもいいですか?」
虎穴に入らずんばなんとやら、と言いますし、
とりあえずその問題児に会ってみますか。
私は腹を括りました。
◇◇◇
「食さぬ! 食さぬといったら食さぬ! 早く皿を下げよ」
食堂前の扉越しに、
なんだかヒステリックな声が聞こえてきましたよ。
ああ、面倒くさい。
少々げんなりとする自身の気力を振り絞り、扉をノックしてみました。
なんだか開けてはならない扉のような気はしますが。
先触れの侍女さんの後で食堂に入ると、おられました。
この宮殿の主、噂のミシェル・ライネル王太子様が
上座にちんまりと着座しておられます。
それはもう、本当にちんまりと。
兄ゼノアと同年という事はその双子の妹である私とも同じ年の12歳だと聞いていますが、
なんだか思っていたよりも、ずっと小柄です。
これは、ひょっとすると女である私よりも小さいかもしれません。
プラチナブロンドの髪にダークアッシュの瞳が、
まあ死んだ魚のような感じで宙を漂っておられますね。
もとは端正な顔つきであろう少年なのに、なぜだかひどく痩せていて、
血色も悪く、青白い感じがします。
(う~ん、君子危うきに近寄らず)
なんていって逃げ出したい気持ち満々ですが、
立場上そうもいかないので、しっかりと外交することに決めました。
「お食事中失礼いたします。
こちらが本日付けでミシェル様の学友として王宮に入られました、
ゼノア・サイファリア様でございます」
先触れの侍女さんが紹介してくれたので、
「よろしくお願い致します」と
取りあえずの笑顔を浮かべておきました。
弱小国家の人質(影武者)の、現在使えるスキルは無難な笑顔くらいしかありません。
「長旅、ご苦労であったな」
と一応の労いの後で
「貴殿はきれいだな」
ミシェル王太子が呟かれました。
ドンガラガッシャーン!
落雷が落ちました。
私の脳に。
この王太子、いきなり何を言い出すのでしょうか。
私は今、酷く動揺しています。
(こっこここの人、初対面でいきなり何をっ!)
無駄に心拍数が上昇し、頭に血が上っているのがわかります。
落ち着きなさいっったら! 私の血圧!
取り乱してしまった私を、
アレックが生温かい目で見つめてきます。
「からかわないでください。恥ずかしいです」
そう言って一応、幼気な少年の恥ずかしい体を装っておいたので、
心ある大人を自覚している人は、これ以上は何も言えないと思います。
うっかり顔を上げると、
ばっちりミシェル様と目があってしまいました。
しまったと思ったけれど後の祭りで、
私もミシェル様の虚ろな眼差しを暫くの間見つめてしまいました。
そのダークアッシュの瞳は、本来ならばもっときらきらと輝き、
どんな宝石よりも空の星々よりも美しいだろうに。
今は悲しいほどに色を失ってしまっている。
この悲しい色を人はなんと呼ぶのだろうか。
ああ、そうか、絶望だ。
そんなことを考えていました。
「私は醜いであろう」
ミシェル王子がそう私に問いかけられたのですが、
私はその言葉が一瞬理解できませんでした。
美しいとか、醜いとか、全くそういう次元で物事を考えていなかったので。
さて、どう返そうか。
思案を募らせながら言葉を紡ぎました。
「ミシェル様は美しく生きることもでき、醜く生きる事もできます。
それはミシェル様のお心がお決めになることでございましょう」
この人は美しい人だと、私の直感が言っています。
だけど今この人はその本来の姿を失っている。
どうやら何事かにひどく傷つき、深く絶望しているようです。
言うべきか? 否か。
瞬時の躊躇いはあったものの、私は言わないことにしました。
誰でも答えはきっと自分で出さなければいけないのですから。
「では、問いを変えよう。貴殿の目に私はどう映る?」
ミシェル王太子は質問を変えました。
これは意地悪な質問ですね。
これでは言わなくてはならなくなってしまいます。
私はこう見えて心を隠すことは得意だったのです。
そのうえで外交とか人質とか、
色々と理由をつけ取り繕おうってそう思っていたんです。
ですがそんなものはもう意味をなさないようです。
深い絶望の淵にいる死んだ目の王子は、どうやら私の心を御所望らしいので。