世界がラブソングを知ったなら
「ねぇねぇゆずちゃん。」

「ゆずちゃんって誰だよ。」



中野さんが呼んだ名前の人は誰だろうかと思っていると、視線が私から一切逸れない。



…もしかして。




「えっと、私、ですか…?」

「他に誰が居るの?」



そもそも呼ぶ名前が違うから分からないですよ、と、言いたかったけれど。





「ゆずちゃんじゃなくて、翠ちゃんだから。」

「そんなこと知ってるよ。苗字、楪でしょ?だから、ゆずちゃんでいいじゃん。」

「普通に名前で呼べばいいじゃん。」

「聖と同じ呼び方ってつまんない。」

「…あっそ。」



"ゆずちゃん”というのは、あだ名だということが分かったからその言葉を飲み込んだ。




「ゆずちゃんバイトとかしてないの?」



もう私をゆずちゃんと呼ぶことに決めたらしい彼は、自分で淹れたブラックコーヒーを飲みながら私にそう問う。




「バイトは探してはいるんですけど、なかなか見つからなくて…。」



実家暮らしの私はバイトをしないといけない状況でもないが、やっぱり欲しいものはたくさんある。


それを買うためには、お金が必要だ。



だけど、ゆっくり探せばいいかと思っているせいで、今日までバイトは決まっていない。






「じゃあ、ウチで働く?」

「え...?」



少し冷めたココアに口をつけた時、思わず聞き返してしまうような言葉が鼓膜を撫でた。



思いもよらないその言葉に、勢いよく顔を上げると。





「ウチでバイト、してみない?」


ふわん、と優しい笑顔を浮かべる中野さんと。




「‥また突拍子もないことを。」


ちょっと呆れた様子の須藤さん。






「え、っと……?」

「ちょうどバイトの子探してたんだ。」

「初耳だけど。」

「うん、だって今思いついたから。」

「ハァ…、もう好きにして。」




2人の会話に完全に置いていかれている私は、彼らの顔をキョロキョロと交互に見るだけで精一杯。




「ウチはそんなに忙しくないし、ゆっくり覚えられると思うよ。」



どう?と聞いてくれる中野は、やっぱり柔らかい笑顔を浮かべた。




カフェでバイトがしてみたいと思っていたけれど、バタバタしている雰囲気では絶対に私は何か仕出かしてしまうと不安になってバイト候補からは外していた。




だけど、このお店なら。




ゆっくり時間が流れているココなら、私でも頑張れるかもしれない。




「私、頑張りますので、このお店で働かせて下さい…!」






楪 翠、今日からバイト始めます。
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