その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
店内に一歩足を踏み入れた瞬間、萌ちゃんは小さく悲鳴を上げた。

「ひゃーっ……ここ、すごい……大人の世界……!」

そこは、天井からふんわりとドレープが垂れ、
淡い照明の下に、レースやシルクが優雅に並んだセレクト系のランジェリーショップだった。

「落ち着いて。誰も食べたりしないから」

クスッと笑って麻里子が言うと、萌ちゃんは真っ赤になってうなずいた。

「だ、だって、なんか……セクシーすぎて目のやり場が……。これ、全部、下着なんですよね……?」

「上着じゃないわね。たぶん、見た感じ」

「わ〜! こんなの、どこから着ればいいんですか〜!?」

レースのキャミとガーターを前に、萌ちゃんがあたふたしている。

「前からよ」と麻里子が淡々と答えると、店員さんまで笑いをこらえている。

それでも、少しずつ目が慣れてきたのか、萌ちゃんはようやく一枚のセットに目を留めた。
淡いピンクのレースに、繊細なリボンがついている控えめなデザイン。

「……これ、かわいいかも」

「うん、似合いそう。色も柔らかいし、素材も上質。着てるだけで肌が喜ぶわね」

「は、肌が喜ぶ……! それ、初めて聞きましたけど、なんかすごくいい響きです!」

「本当は、そういうものよ。ランジェリーって、誰かに見せるものじゃなくて……肌に一番近い、自分のためのものだから」

ぽそっと言った麻里子の言葉に、萌ちゃんが一瞬キョトンとして、
そしてパッと顔を輝かせた。

「なるほど……つまり、“自分と肌のラブストーリー”ですねっ!」

「……まあ、言い方は自由よ」

試着室に向かう萌ちゃんの背中を見送りながら、
麻里子はふと笑った。

「麻里子さん、今日は本当にありがとうございましたっ!」

店を出た瞬間、萌は紙袋を両手で抱えてぴょんと跳ねた。
袋の中には、初めて自分で“ときめいて選んだ”ランジェリーが収まっている。

「すっごく緊張したけど……すっごく楽しかったです! なんか、女になった気がします!」

「今までも充分、女性だったと思うけど」

「でも今日は、ちょっと“本気の私”になれた気がして……!」

その言葉に、麻里子はふっと微笑んだ。

「大事にしてね、自分のことも、その下着も。あなたの未来も、きっと素敵になるわ」

「はいっ!」

萌の瞳は、どこかキラキラしていた。
いつもの元気さに、ほんの少し“女性の芯”が加わったような、そんなまなざし。

「じゃ、私こっちなんで!」

「気をつけて帰ってね」

「はいっ。また今度、“肌が喜ぶランジェリー”教えてくださいね!」

そう言って小走りに手を振る萌の後ろ姿を、麻里子はしばらく見送っていた。

誰かのために、ランジェリーを選ぶ—
こんなにも楽しいことだったなんて。
麻里子は、ほのかに頬を染めながら歩いていた。

萌のきらきらした表情を思い出すたび、胸の奥が温かくなる。
“誰かが自分を大切にする瞬間”に立ち会えたことが、嬉しかった。

今までは、自分のためだけに選んでいたランジェリー。
でも、人の“新しい一歩”を一緒に探すことも、
こんなふうに心がふわりと明るくなるものなんだ。

—こういうのって、いいな。

麻里子は空を見上げ、小さく笑った。

「さあ……前夜祭にしますか」

心の中でそっとつぶやくと、足取りが少しだけ早くなる。
明日からは夏休み。
今日は、自分のために、ほんのちょっとだけときめく夜にしよう。

街灯が滲む帰り道を、麻里子は足早に歩き出した。
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