その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
「麻里子、こんな風に愛してもらえたらって…
恋愛願望、あるんだな」

「ならば、結婚願望は?」
問いかけに、少しだけ考える。
「うーん……あるような、ないような、かな」
そう言ってから、小さく笑って肩をすくめた。
「でも、結婚したいかも。家族じゃないとできないことって、まだまだあるでしょう?」

少し間をおいて、静かに続ける。
「でも、子供は……いらないかな。甥っ子も姪っ子もいるし、あの子たちと遊ぶことを考えるだけで十分楽しいの」
そこには、温かくて、少しだけ切なさを含んだまなざしがあった。

麻里子の言葉に、貴之はグラスを持つ手をそっと止めた。

「結婚したいかも。家族じゃないとできないことって、まだまだあるでしょう?」

その一言が、思いがけず胸に沁みた。
彼女が、未来のことを口にした。しかも、あたたかい家庭のイメージとともに。

—その未来に、自分は含まれているだろうか。

子供は望んでいないと言った麻里子のまなざしには、覚悟のような、凛とした光があった。
甥っ子や姪っ子との関係を楽しみながら、自分の人生を丁寧に選ぼうとしている。
他人の価値観ではなく、自分の軸で。

貴之は、そんな彼女の生き方が好きだった。

「……そうか」
短くそう言って、再びグラスに口をつける。

「じゃあ、その“家族じゃないとできないこと”を、俺と一緒にやってみるのはどうだ?」

声はいつもより低く、抑えているようでいて、どこか優しさが滲んでいた。
軽口のように見せかけながら、本気だった。

麻里子が驚いたように顔を上げる。
貴之は静かに微笑んだ。
それ以上は何も言わず、ただ、彼女がもう少しだけ心を開いてくれるのを待とうと思った。
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