その抱擁は、まだ知らない愛のかたち
8月の陽射しを避けるように、ふたりはショッピングモールの涼しい館内に入った。
冷房の効いた空間に、麻里子はほっとしたように息をつく。

「けっこう広いんだね、ここ」
「迷わないようについてこいよ」

そう言いながらも、貴之の目的ははっきりしていた。
—今日は、麻里子のために買う。
それも、“俺の部屋で使うもの”を。

ふたりで使うタオル、スリッパ、
バスルーム用の細々としたグッズまで。
彼女が無意識に選んだものを、迷いなくカゴへ入れていく。

「え、ちょっと、ほんとに買うの?」
「そう。お前は選ぶだけでいい」

その言葉に、麻里子が少しだけ戸惑いながらも、嬉しそうに笑った。

ふと、通りかかったウィンドウ。
そこに飾られていた、柔らかいレモンイエローのワンピースに、麻里子が一瞬だけ目を奪われた。
貴之はその視線を見逃さない。

「……入ろうか」
「えっ、ここ?」
「見てただろう」

そう言って、自然に手を取る。
麻里子は戸惑いつつも、されるがままについてきた。

店内は静かで落ち着いた雰囲気。
麻里子は最初こそ遠慮がちだったが、店員の勧めもあり、少しずつ目を輝かせながらいくつか手に取るようになった。

「……これ、着てみてもいいかな」
麻里子が指先でそっと選んだのは、レモンイエローのワンピース。
ショーウィンドウで目を奪われていたのも、その色だった。

ほかにも、爽やかなブルー、貴之が選んだ深紅のワンピースも。
普段の麻里子からは少し意外な選択だが、そういう“冒険”も、今日だからこそ。

「全部試してみろよ」
「えっ、でも、派手すぎるかも……」
「いや、むしろいい。俺が見たい」

麻里子が少し照れたように笑って、ワンピースを3着抱えて試着室へと消える。

貴之は、近くのベンチに腰をかけ、手に持ったショッパーを足元に置いた。

カーテン越しに見えるシルエット。
試着室の鏡の前でそっと髪を整える姿。
麻里子はまだ、自分が誰かに“見られている”という感覚に慣れていないようだった。

—あの肌に、深紅。
どんなに映えるだろう。

目を閉じるまでもなく、脳裏にははっきりと浮かぶ。
麻里子の白くなめらかな肩、うなじ、鎖骨。
そのラインを沿うように落ちるワンピースの生地。
深紅は、彼女の肌をさらに白く、艶やかに見せる。

ふとした仕草で裾が揺れ、脚がのぞく。
細く、華奢で、それでいて色気のあるその脚に、ヒールの赤いサンダル。
手を伸ばせば届く距離。
だが、今は触れない。想像するだけ—それが逆に、火をつける。

(俺だけが、脱がせる)
(俺だけが、抱きしめる)

頭の中で、いくつもの夜の光景がよぎっていく。
ワンピースの布越しに、彼女の胸の輪郭を指先でなぞる自分。
浅い吐息。小さくうなるような声。
それを、誰にも知られずに聞ける贅沢。

そんな妄想をしているとは思えないような顔で、貴之はカップの水を一口飲んだ。

「どうかな……これ」
カーテンが少し開いて、麻里子が顔をのぞかせる。
真っ赤なワンピースが、彼女の肌に見事に映えていた。

「……似合ってる。すごく、いい」
抑えた声の奥に、熱があることに麻里子はまだ気づいていない。

そのあとも、ブルーとイエローを試して、結局3枚とも気に入ったという彼女に、貴之はきっぱり言った。

「じゃ、全部買おう」
「えっ……いや、でも、高いし……」
「俺が決めた。1枚は、俺の部屋に置いとく。いつでも着れるように」
「……もう、強引……」

けれど、その強引さを少しも嫌そうには言わない麻里子の表情に、貴之は満足する。

そのあと、店の並びにあるシューズショップで、
ワンピースに合わせた原色のサンダルを2足選んだ。
ルージュレッドのヒールサンダルと、ブラックのストラップサンダル。

どちらも、ひとつは自宅用。
もうひとつは、当然、俺の部屋に。

—服も靴も、肌に触れるものすべて。
お前の“生活”ごと、俺は取り込んでいく。

まだ何も言わない。
だが、俺の中ではもう始まってる。
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